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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

深浦 (五能線) 1980

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深浦の入江は日本海に対して見事な半円形を描いて陥入しており、確かに天然の良港に違いない。17世紀以降に北回り廻船航路の寄港地となり、その入江沿いに街並が発展した。
1934年12月13日に大戸瀬からここへ達した五所川原線は、その集落のかなり手前に駅を置いた。今でこそ周辺に市街地の形成されているが、当時には寒村の駅だったに違いない。背後に丘陵の迫る入江沿いにはそれを設置する用地の確保は困難だったのだろう。1936年7月30日の五能線全通にかかわる陸奥岩崎からの延長線は既存集落を避けて後背の丘陵を幾つかの隧道にて迂回して深浦駅に接続した。

蒸機の時代にはトンネルの合間から趣の在る街並が垣間見えて惹かれもしたのだけれど、そこに降りれば広戸方の岩礁ばかりで、実際にそこへと向かうの70年代も末になってのことだった。その頃ともなれば家並みの細道だった名ばかりの国道も拡幅整備され、移転家屋はビルにも建替えられて情緒の失われていたのには、手遅れを些か悔やみもしたものだ。
北前船の時代が去って以来、ここは漁師町となり港には岸壁や関連施設が整備されたのだが、小さな漁船はそこに繋留されるで無く、傾斜の在る浜に向いて建てられた番屋の前にその都度引揚げられるのだった。浜に揚がり切らない船も舳先だけを乗り上げて固定されていた。代々に引き継がれた西風に押し寄せる荒波への対処なのか、湾口に防波堤のある現代ならば不要な作業とも思えるのだが、これがここの漁師の、この土地の記憶と云うものなのだろう。

背後の切り立った雍壁を金屏風に見立てれば、そこは港の飾り舞台である。
演ずるはキハ22とキハ12の2両編成。1729Dの弘前行き。首都圏色の進出が残念な頃だ。

[Data] NikonF3HP+AiNikkor105mm/F1.8S  1/250sec@f5.6  Non filter  Tri-X(ISO320)  Edit by CaptureOne5 on Mac.
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