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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

梅ケ谷 (紀勢本線) 1982

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紀勢本線に向かうには、いつもの大垣夜行を名古屋に降りれば良いのだけれど、その東線側の核心区間までは100キロを越える距離が在り、近鉄の急行電車から松阪で気動車列車に乗継いで紀伊長島まで約3時間を要した。それでも伊勢線を経由する急行<紀州1号>は名古屋を8時30分だから、それよりは先着出来るのだった。
ここにもキハ80系列による特急列車の運転があったものの、この距離が災いして訪問は数回で終わってしまった。

この線区は、建設線名の紀勢東線西線とも1920年代以降の開通で、戦時による中断を挟んでの尾鷲-熊野市間に至っては1950年代にまでずれ込んだのだった。1959年7月15日の三木里-新鹿間の開業による全通は、これにて日本列島外郭の地方幹線網整備の完了をも意味していた。
それから6年後の1961年、ここにはそれら線区の優等列車網の一環として特急列車の設定が計画され、この際に、その設定上から11K500Mの線区最長停車場間距離の在った荷坂峠区間の大内山-紀伊長島間に交換設備を要して設置されたのが梅ケ谷信号場である。同年2月27日に運用を開始したここには地元大内村(当時)より駅設置の陳情もあったことから、国鉄もこれを受け入れ乗降場を設備して同年の11月1日を以て駅とされた。当時には連動閉塞施行につき運転要員が配置されていたが、格上げに際しても旅客要員は置かれず無人駅だった。1983年12月21日の亀山-新宮間のCTC制御導入によりその運転要員も引上げられている。

この1982年頃、ここの職員もしくは近所の住民に風雅な人物が居たのだろう。撮影に上った乗降場上面には竜安寺の石庭よろしく丁寧な箒目が入れられ、そこを歩くのが憚られる程だった。植栽の回りには自然石を配置する演出もある。
列車は、荷坂トンネルから構内に進入する130列車亀山行き、待機するのは129列車の新宮行きである。

[Data] NikonF3P+AiNikkor28mm/F2.8S 1/250sec@f5.6 Fuji SC48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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