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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

木与 (山陰本線) 1974

kiyo_01-Edit.jpg

74年に幾度か通った山陰線の西部である。

この木与から木与トンネルへの築堤区間も地形図上での事前のシミュレイションでは見落とした位置だった。宇田郷をロケハンのつもりで乗った車窓から斜面に続く棚田を見つけて、その翌日に降りた。
それは、畦が等高線を忠実にトレースした見事な棚田で、海岸線に続く緩い傾斜に始まり、急斜面を駆け上がって標高100メートル付近にまで広がるものだった。現状を検索すると圃場整備が行われていて優美に撓る畦は失われたようだ。
木与の集落は、国道191号線沿いに駅周辺からこの棚田下あたりまで続いて、寒村のイメージではない。

山陰本線は宇田郷から国道と共に海岸線沿いに進んでいたのだが、山塊の迫る地形にてトンネルと落石覆が連続していた。ここは1985年6月に第二田部トンネルからの区間を一気に新木与トンネルで貫く新線に切替えられ、木与側抗口(出口)は在来の木与トンネル山側に隣接する位置に在る。

写真は、(旧)木与トンネルへと向かう828列車。下関からの米子行きである。
山陰地方は、その地理的な位置から海面を背景に逆光位置の取れるのは夕刻に限られ、その時間帯に上る828列車は良い被写体だったのである。
この地域らしい石州瓦の集落に、後方には鳴き砂の清水浜が見え、重なり合う岬の山々は遠岳山と日の丸画角ではある。この風景のたおやかさは羽越線と同じ日本海岸とは思えない。少なくとも北の人間にはそう見えた。

ところで、この当時の木与駅構内の斜面法面を固めた擁壁には「木与信合場」とペンキで大書きされていた。「合」の誤字はご愛嬌としても、ここが信号場であったとする資料は見ていない。1931年11月15日の美禰線(当時)の東萩から宇田郷への延長の際に、当初よりその途中「駅」として開業しており、謎である。

[Data] NikonF2A+AutoNikkor105mm/F2.5 1/500sec@f5.6 O56filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR3 on Mac.
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コメント

Re: タイトルなし

こんばんわ。

この棚田からの最近の風景を検索してみましたが、
清水浜に小磯の鼻と、この時のままの眺めでした。
山陰の海は、例え岩礁の海岸でも優しく見えます。
勿論、冬には北西風に荒れるのでしょうが。

この増田から長門市への区間は山陰線の最閑散区間ですが、
調べてみると最新の木与駅の利用者数-1人とありました。
上白滝と一緒ですね。集落は遥かに大きいのに。

  • 2013/05/17(金) 01:19:36 |
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  • Wonder+Graphics #-
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こんにちは

山陰は全く未踏の地で
宇田郷界隈は 一度は行ってみたいと いつも思っていて・・・
近年はこのような風景は望めなのでしょうけれど
生きてる間に一度は南下してみたいですね

煙 いいですね こういう煙好きです
生活圏を走る蒸気機関車の風景に触れてみたかったと どのお写真拝見するにつけて思います


  • 2013/05/16(木) 08:22:05 |
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  • Jam #-
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