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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

北常盤-浪岡 (奥羽本線) 1980

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道内へ向かう旅に、<津軽>には幾度も乗っていた。
奥羽本線やそこからの支線区への立寄りにも乗りそうなものだが、五能線に弘前から入るなら青森に早朝に着ける<八甲田>が有利だったし、米坂線の米沢には逆に深夜に下車せねばならず、陸羽東線や北上線、花輪線にも東北本線からに利があったから、これから降りるのは能代からの五能線ぐらいで、ほとんどは旅の楽しみに乗っていたのである。ただ、それは下りばかりで、2本運転時代も青森の時刻がスケジュールにかみ合い難く、上りの記憶は数える程しか無い。

この<津軽>系統は永年の旧形客車から1978年10月改正にて座席車が12系に置替られて以来、1993年12月改正での予定臨格下げまで運用車両が幾度も替わった。その全てに乗車経験があるから、確かに良く乗っていたのである。
旧客の時代、初めて乗った頃には補機を要した矢立峠通過から座席車は軽量客車に限定されて、スハ43/スハフ42の東北/常磐線急行より上等だった。1971年10月改正で同区間が電気運転となり、それが解除されると今度は板谷峠での定数確保からオハ/オハフの限定となり、通常にはオハ46にオハフ45でスハと同等なのだが、近代化改造車とは云えオハ35の組成されることもあった。
夏に開け放した窓からDD51のエンジン音を聞いたのも、この頃である。

1978年10月改正で12系に置替られれば、さすがに快適で真夏の乗車も苦にならず、窓を開ければTR217系列台車の軽いジョイントの踏音が心地良かった。終焉の間近だった軽量客車寝台車の乗り納めも、この列車と記憶する。
1往復運転となった、1982年11月改正での<十和田>からコンヴァートのナハ21の座り心地は最も素晴らしかったのだけれど、閑散期と云うのに立ち客の出る始末で、このために1983年7月1日の下りより季節<おが>と運用編成を差替えて14系座席車での運転とされた。実際には一足早く、同年5月26日に発生した日本海中部地震の災害により、5月28日下りから6月6日の上りまで上野-秋田間に区間を短縮した403・402に<おが>編成が充当されていた。
この14系運用は、1984年2月から1985年3月までの寝台車組成を挟んで1990年8月31日まで続いて、最も利用回数は多かったものと思う。

583系電車で仙山線を運転した<津軽>は、性能を持て余し気味でとにかくゴロゴロと走って良く揺れた。閑散期なら座席を引き出してのゴロ寝も黙認されたけれど、布団も無いそれは落ち着かなかった覚えが在る。
1992年7月改正からの485系には、昼行特急で乗り馴れていて<津軽>と云う感慨はなかった。
そう云えば、最末期の再びの583系には乗っていない。

写真は、穂仁王掛けの津軽平野を北上する401列車<津軽1号>。
宮城県の大崎平野なら穂仁王と書いて「ほにょ」と呼ぶのだが、ここでの名称は聞き漏らしている。
スロフ62が外されオハネフ12の組成順位がオロネ10の前位に替えられた、80年10月改正後の編成である。

[Data] NikonF3P+AiNikkor28mm/F2.8 1/250sec@f8 Nikon O56filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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