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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

貝田 (東北本線) 1979

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青函16便から乗継いだ<八甲田>を未明の仙台で目を覚ますと車窓に張付く氷雪が見えた。太平洋岸のここで、これだけの降雪に積雪は珍しい。まだ、道内の何処かに居る感覚も手伝って、<八甲田>を白石で捨て、普通列車から福島/宮城県境の貝田に降り立ったのだった。

東北本線の国見峠は、最高地点の施工基面高が196.96メートルと白坂峠や十三本木峠に遥かに及ばない。けれど、ここには隧道によらずに、最急R400の曲線と25パーミルの勾配で、厚樫山の斜面に取り付き、これを迂回する建設当時の線形が電気運転化/複線化後も残され(*)、改良の相次いだこの線としては特異な区間である。
蒸機運転時代には当然ながら輸送の隘路だったのだが、1988年に至って阿武隈急行線としてようやく開通を見た福島より阿武隈川沿いに丸森を経由する勾配緩和線の計画が古くから存在した故に、改良の見送られて来たものと云われている。それの実現せぬうちの電化計画で、電機/電車運転となれば勾配への制約も小さく、結局のところ1800年代末の規格の残存したのであった。特急電車は高速で通過していたけれど、貨物列車には引続き補機を要していた。これは現在でも変わらず、EH500形式電機の運転に受け継がれている。
この頃の貝田は、複線化により棒線駅となって運転扱いは無かったけれど、信号場当時からと思われる小さな木造の本屋に要員が詰める有人駅であった。ここの要員無配置化は1984年暮れのことである。

(*) - 正確には貝田付近の一部で線路の移設が行われていて、貝田集落内にその路盤跡が生活道路として残されている。この移設は戦前のことで、電化/複線化とは関連が無い。

白石から標高の上がる程に、積雪は厚みを増して降雪も激しく、予定していた東北自動車道の切取り法面上部からの俯瞰は視界が取れそうに無い。藤田方に線路沿いを歩いて、雪面に牛沢川の急流のぽっかりと開いたところで列車を待った。
ED75に牽かれるのは、荷1044列車。荷物列車なのだけれど仙台-福島間で旅客車を連結して客扱いをしていた。その外観は、荷物車/郵便車を交えた旅客列車と変わるところは無い。

積雪で東北自動車道は閉鎖され、激しく渋滞する国道4号線が降雪の合間に見えた。

[Data] NikonF2A+AiNikkor50mm/F1.8 1/500sec@f5.6 Non filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR3 on Mac.
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