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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

陣場 (奥羽本線) 1978

jimba_02-Edit.jpg

鉄道屋には定番の第二下内川橋梁(169M)から続く盛土構造の区間である。
この当時のその立ち位置である風穴前の畑作地は、営農者も若かったのだろう、このようにしっかりと耕作されていた。何度かここでお会いして、立入り許可を求めれば快く受け入れてくれたものだったが、後年にはトラブルもあったと聞いている。前縁に生育した立ち木を断りも無く伐採したと云う事件で、それ自体よりも苗を踏み荒らされることに憤慨して、立札を立て畑に居れば撮影を断っていたと、後にご本人から伺ったことがある。結局のところ前縁部近くの耕作を諦めたそうなのだが、最近のしなの鉄道での件と云い、常識を知らぬ馬鹿野郎はいつの時代にも居るものだ。

この2404Mもの松原トンネルを掘削しての勾配緩和線は、奥羽北線の電化開業のダイヤ改正直前の1971年9月25日に下り線としての使用を開始しており、この白沢-陣場間が矢立峠を挟む区間での複線化としては最も遅いものとなっていた。それは、新線矢立トンネルへの取付けに関連して構内の嵩上げを要した陣場駅へ盛土を連続して続くこの新線が、必然的に旧線を支障し、これも将来上り線となる新線建設を事前に要したためである。切替は、陣場駅の新線上への移設に関連して1970年11月5日の(新)矢立トンネルを含む陣場-津軽湯の沢間と同時に行われている。現在も、この上り新線脇の低い位置に、下り新線と合流後の築堤の傍らにも旧線跡が確認可能で小さな水路に橋台も残されている。単なる移設に過ぎぬからか、廃線跡探訪的記事には出会っていない。

写真は、案山子に見守られて盛土区間を往く、予定臨8503列車のスジで運転された12系客車-12両組成の回送列車。
2両が秋田車両センターに残されるも、ここでのED75 700番台の運転が過去帳入りして久しい。ここの電化開業時には所要両数が不足して、72年3月改正までは一部列車にDD51牽引の残存したものであった。

[Data] NikonF2A+AiNikkor50mm/F1.8  1/500sec@f8  Y48 filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR3 on Mac.
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コメント

Re: 越えてはならぬ一線

こんばんは。

全く以て呆れた事件でしたよね。
雑草刈りくらいなら「ご苦労なこと」程度で済みますけれど、樹木となりますと。
鉄道屋は基本的に他人の土地で、誰に頼まれたでも無い写真を「撮らせてもらっている」のですから、
謙虚でなければなりません。

  • 2014/04/11(金) 00:45:52 |
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  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

越えてはならぬ一線

こんばんは。

しなの鉄道の件、当時地元ローカルTV局のニュースでも大きく取り上げられていましたし、同じ頃に自宅近所の撮影地で小学生の子供を連れた親父殿が線路すぐ脇の雑草をせっせと刈っているのを目撃したことがあります。たった一人の悪行が鉄道屋全体の印象を悪くし兼ねません。障害物も被写体を引き立てるスパイスの一つと認めるようにしたいものです。

  • 2014/04/09(水) 21:49:15 |
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  • 影鉄です。 #-
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