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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

小波渡 (羽越本線) 1971

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小波渡に降りたのは、おそらくその駅名に惹かれてのことだろうが、どのようにして、このポイントを見つけてそこに立ったのかは思い出せない。集落の名は、鶴岡市堅苔沢字淵ノ上と云う。
この区間には、背後の丘陵地と海岸線との間の狭い土地ごとに集落が点在していて、そのうちのひとつである。
集落を見下ろす小波渡の弧を描くホームから緩い坂道を国道へと出て、海を右手に見ながら歩き、やや奥まったこの集落の背後に築堤の線路を認めて、そこの小さな流れ(これが堅苔沢なのか)を辿ったものと思う。風雪の季節のはじまった頃で、波浪に沸き立つ泡を見たのも、この時だったような気がしている。

築堤と集落を画角にすべく、山裾に張付く数軒の民家の背後へと登ったのは、鉄道写真屋の習性みたいなものだ。架線柱は運び込まれていたものの、幸いなことに線路端に寝かされたままであったことには、この時に気がついている。
雪混じりの強風を低い丘陵に避けた集落の濡れて鈍色の瓦屋根が印象に残る。群青色の夏の日本海と対極の色である。

ここには、この波渡崎を回っていた旧線に対して五十川までをほぼ直線で結ぶ新線が開通している。羽越本線の複線化に例の多い、山側増設線を上り線として使用するものではなく複線規格である。旧線上にも数多く存在したトンネルの老朽化対策を含んでの措置であろうか、1977年10月18日の使用開始と云うから、この撮影の直後には着工したものと思う。

列車は、旧線の大波渡トンネルを抜けた821列車の秋田行き。
この頃には新津機関区のC57も5両まで配置を減らしていて、昼間に撮影可能なのは、この列車に上りの荷2048列車に限られていた。必然的に撮影上の重点列車だった訳である。
今は、この立ち位置に新線堅苔沢トンネルの入口抗口が在り、正面上部の建物位置へ向けて高架が延び、そこに大波渡トンネル出口側抗口が設けられている。Web上の廃線跡探訪記事によれば、この旧線築堤は健在なそうである。

[Data] NikomatFT+AutoNikkor50mm/F2 1/500sec@f4 Non filter NeopanSSS Edit by PhotoshopLR3 on Mac.
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