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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

下小川 (水郡線) 1980

shimo_ogawa_01-Edit.jpg

その通路面が河川敷と同高位に河川の低水路部にのみ架された橋が沈下橋である。出水時に水面下に没することと引替に最小限の延長と桁流失時の復旧を容易とする簡易構造から建設費低減を得る架橋形式である。架橋の原初形態のひとつであり、近代では主に山間僻地など人口希薄域の交通路確保に採用されて来た。
全国的に見られたけれど、流水部に或る程度の幅のあり、架橋前後の河川敷が避溢部となることが条件ゆえ、河川と流域は限られる。関東では荒川や小貝川、相模川などの平野部に、そしてこの久慈川中流域に架橋例が多かった。永久橋(沈下橋の対語なら水抜橋)への架替えが進行しており、今では比較的多くが残る四万十川流域が高名である。

水郡線下小川駅の所在する山方町(現常陸大宮市)平山集落と久慈川対岸の家和楽(やわら)地区に架橋された、この平山橋もそのひとつで、橋脚はコンクリートに鋼管によるものだが、橋桁部は低い欄干を含めて全て木造であった。上流側に斜めに付された構築物は「流木避け」と呼ばれるもので、出水時に橋脚を保護するためそれ毎に設けられていた。

この区間での撮影では格好の素材に違いなかったのだが、鉄道線路と直交方向の架橋のため、それを取り込む画角は限られてしまうのだった。
列車は348D。常陸大子からの水戸行きである。
ルーラル輸送の線区とは云え比較的利用の多く、昼間帯でも一部を除き4両組成が基本と記憶している。気動車は全て水戸機関区の運用である。

平山橋は、この当時に更新架替の終わったばかりで、以来30年余り度々の出水にも桁の流されることも無く、写真の状態で健在である。ただ、木板であった通路面は2001年にコンクリートに舗装されている。
鮎で高名な久慈川だけれど、この川岸の釣り人に聞けば、この澱みでの獲物はフナ/ウグイにコイと教えられた。

[Data] NikonF3HP+AiNikkor50mm/F1.4S 1/250sec@f5.6 Y48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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コメント

Re: 水郡線

こんばんは。

確かに地味な線区ではありましたね。
それでも、上野から直通の急行<奥久慈>は在ったし、朝夕にはDE10に牽かれた客車列車も走り、
貨物列車も設定されて、一通りの亜幹線もどきの風格は持っていたのです。
多客期の<奥久慈>など、通常に水戸解結の<ときわ>編成の一部も引き連れて入線していましたから、
それはグリーン車を含む8両の長編成でありました。

キハユニは、郡山客車区に5両、水戸機関区に1両配置の在ったキハユニ26でしょうか。
他にキハユニ15も18も居たのですが、主には常陸大子以北で使われていたと記憶しています。
郡山への最終列車は、そのまま3番線ホームの東京方にあった水郡ホームに本線滞泊して、
翌日の一番列車(5時27分発水戸行き)になっていましたから、それに乗られたのでするね。
行商列車だったとは知りませんでした。

  • 2013/04/08(月) 01:58:50 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

水郡線

こんばんは。

地味な線区をこまめに撮っておられたんですね。
私はこの写真とほぼ同時期に一度きり乗っただけです。
郡山駅の待合室で夜明かしした後、始発列車に乗ったような。
これは行商列車で、うたた寝から目覚めたら担ぎ屋のおばさんに囲まれていて
びっくりしたのも思い出です。
キハユニが新聞輸送もしていて、かなり本格的な生活だったようですね。

最近、SLで少し話題になったようですが、相変わらず地味な水郡線、
またゆっくり訪ねてみたいところのひとつです。

  • 2013/04/07(日) 21:10:08 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

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