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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

藤田 (東北本線) 1980

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70年代から東北新幹線の開業する1982年6月23日のダイヤ改正までは、東北線特急群の全盛期であったのだが、それを熱心に撮った記憶は無い。
会津行きに使っていた福島・会津磐梯の特殊用均一周遊乗車券の自由周遊区間が白石までを含んでいたから日程の一日を充てるとか、道内でのスケジュールの都合で帰路が<八甲田>になれば白石や福島で、それを降りていたくらいである。それでも行き先は、勝手を知り豊富にコンテを持っていた国見峠区間に決めていた。

今、国見峠と書いたけれど、地図上にこの名称は記されていない。それは福島盆地と白石盆地を遮る山塊に大きく切れ込んだ鞍部を越えるもので、ここでの東北本線の施工基面高196M96は藤田との差ならば100メートル程である。それでも東京起点291K付近から5キロに及ぶR400曲線の介在する25パーミル勾配が続き、蒸機運転時代には北海道連絡ルートを常磐線に譲る要因となっていた。
電化/複線化の成った後には電車列車は軽快に駆け上っていたけれど、数本設定の在った気動車列車は重い機関音と共に這うようにして登り詰め、藤田-越河間の運転時分で電機牽引客車列車の13分に対して15分を要する程であった。貨物列車なら引続き重連の領域である。

この頃に藤田に降り立てば北側に新幹線の高架橋が完成しつつあり、それが蔵王トンネルに吸い込まれる方向に歩くと、道は斜面を登り東北自動車道を越える架道橋上に至る。周囲の斜面には果樹園が広がり、眼下の福島盆地から厚樫山に取り付いてそれを迂回して往く線路が遠く一望出来た。

列車は、1008M<ひばり8号>。仙台運転所の12両組成による[A72]仕業である。
当初76年度に予定していた東北新幹線の開業が78年度にも不可能となり、東北線特急はその年の10月改正にて宇都宮以南区間を平行ダイヤ化して増発が行われ、それは過去最大の運転本数に達していた。この区間に立てば1時間に4本のそれを撮れた頃である。
桃の果樹が強い南風にざわめく。

[Data] NikonF2A+AiNikkor50mm/F1.8 1/500sec@f5.6 Y48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR3 on Mac.
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