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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

富山 (高山本線) 1987

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翌朝には呉羽山のつもりでいたから、その日は宿を取らずに富山駅での駅寝を決め込んでいた。そこでの駅寝は初めてだったけれど、<きたぐに>の上下列車が深夜に発着していたから、それは可能と踏んでの行動である。
確かに待合室は、魚津や高岡方面への最終列車の後も開放されてはいたのだが、閑散とするだろうとの予測に反して何やら風体のよろしく無い男達が屯し、挙げ句に酒盛りを始める始末なのだった。まもなく警察官のやって来てひとりひとりに乗車券の所持を確認しながら排除を始めた。中のひとりの警官が大きな撮影機材に眼を留めたものか、ここに滞泊する事情の説明を求められたのである。彼には翌朝の撮影のためにここで夜を過ごすことが理解出来ぬらしく、夜行列車にも乗らぬならば旅館へ退去せよと云う。夜明け前に呉羽山に到達するに午前4時前には行動を始めること(タクシーで向かうつもりでいた)、そこから戻って乗車券の経路の列車に乗ることを再々度説明してもなお、半信半疑な様子ではあった。

この騒ぎもようやく収まりベンチに横になれば、今度は清掃員に起こされるのだった。24時間開放と思われたそこは、それには違いないのだが、2時を過ぎると一斉の清掃が入るらしかった。その間、一旦コンコースにでも避難せねばならない。
結局のところ一睡も出来ずに3時半を回った頃、件の警官が再び現れこう云った。「警らに出るので、ついでだから送ってやる」。居丈高なのでは無い。彼らなりのフレンドリーの発露である。誰も待合室には居なかったから良いものの、警察官に同行されてそこを出るのは「連行」に見えなくも無い。こうして夜明け前の呉羽山にパトカーで送込まれたのが、長い夜の結末である。

写真は、神通川橋梁(424M)を渡りそれを遡る進路を取る824D越中八尾行き。<のりくら>編成の間合い運用である。
この呉羽山公園の茶屋(貸席)のあるあたりは、立山連峰を背景に北陸本線を俯瞰する位置として定番であり、この日も早暁にやって来る寝台特急が目的だったのだが、もちろん高山本線も望める。
高山線が使用している橋梁は1899年の北陸本線開通時の架橋位置にあり、1927年9月1日の飛越線(現高山本線)開通に際しては橋梁米原方に、これの分岐/合流する田刈屋信号場が置かれて、以降には永く両線の列車がこれを共用していた。分離は1956年11月19日のことで下流側に隣接して新橋梁が架けられ、これを北陸線用とした。橋梁手前に見られる両線の不自然な曲線はこの切替にて生じており、かつての線形は現北陸線下り線の延長上に現高山線橋梁の在るところに見て取れる。なお、現高山線橋梁は同位置で架け替えられたものである。

[Data] NikonF3P+AiNikkorED300mm/F2.8 1/125sec@f2.8+1/2 FujiSC42filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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