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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

手ノ子 (米坂線) 1971

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この蒸機最期の冬、宇津峠区間には連日多くの鉄道屋が集っていた。
積雪の多い地域であるし、まだ自動車利用の撮影は一般的でなく、それでやって来るのは雪道に慣れた地元からばかりで大半の鉄道屋は米坂線で手ノ子に降り立っていたから、さして広くも無いここの待合室はごった返していたのである。蒸機列車の一本が走り去れば、それの撮影を終えた彼らが駅に戻りストーブを取り囲むのだけれど、当然ベンチが足りずに立っている者も居る始末だった。床も機材置場と化して、本来の米坂線利用者には迷惑な話だったろうが、それが気動車列車でない限り、地元の人々が駅にやって来る頃にはそこは空っぽだったから、さほどでも無かったのかも知れない。
この頃の鉄道屋同士は会話も弾んで、拙い撮影者には技法やお作法を学び、情報を得るに格好の場でもあった。今では信じられないことだが、この頃の手ノ子駅には弘済会の売店があり、その売り子のおばさんも加わっての賑わいであった。あれだけ人が居れば売店の売上に相当貢献していたはずで、それはおばさんも上機嫌に違いない。

信じられないついでに触れると、ここの普通列車では車内販売が回って来たのである。業者名は失念したけれど、羽越線の優等列車と同じ制服姿であった。ただし、そこでの販売員よりも明らかに年長と思われる米坂線担当には、妙に納得した覚えが有る。

写真は、それの気動車化まで存在していた混合列車、混125列車坂町行き。
ご覧の通り、ここでの組成は旅客車前位が定位であった。見ればオハユニ61も組成されており、客郵荷貨と全て揃った「豪華」編成である。
宇津トンネルの手前、米沢起点38キロ付近の盛土区間。列車前方アウトカーブ側の小高い丘からは多数のカメラが狙っている。斜面下のここは、それから死角になる位置である。
手ノ子は米沢盆地の西に尽きるところで、山間を縫う羽前沼沢側とは対照的に蛇行する宇津川沿いにトンネルに向けて詰める開けた景観が広がっていた。宇津峠は頂点の施工基面高が363メートルの米坂線の最高所であり分水嶺なのだが、ここに県境の通らないのは不思議な気のしたものだった。

[Data] NikonF+P-AutoNikkor35mm/F2.8 1/250sec@f5.6 Y48filter NeopanSSS Edit by PhotoshopLR3 on Mac.
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