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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

今川信号場 (羽越本線) 1971 

imagawa_01-Edit.jpg

早朝の今川信号場を通過する、何処かで見覚えの在る機関車である。ナンバープレートはD51498と読める。

ここの開設は、1944年7月1日と在る。その日付から、アジア太平洋戦争末期の陸運転換に対応した設置と知れる。
羽越本線上では、京ヶ瀬/神山/中浦/小岩川/小波渡/南余目(西袋)/北余目/東酒田が事由を同じくしているのだが、北余目を除き、いずれもが戦後も廃止されることなく1950年代には正駅昇格を果たしたのに対して、ここは永く信号場に留め置かれ、それは東日本旅客鉃道への承継を待たねばならなかった。
おそらく戦後の早い時期から上下本線に土木工事を経た乗降場を有して、客扱いを行っていたに関わらずである。営業キロの設定されず、それは仮乗降場と同様の扱いであったのだけれど、北海道のそれと異なり、時刻表には臨時駅として記載されていた。

71年当時、ここは隣駅越後寒川の所管で、上り線乗降場の越後寒川方に存在した二階建ての信号場本屋では、越後寒川より派遣の当務駅長が詰め運転扱いを行っていた。二階は、おそらくその仮眠施設であったと思われる。
また、旅客関連設備は無いものの、駅務室には乗車券箱にダッチングマシンが設備され、越後寒川3番窓口として乗車券類の発売がなされていた。それには越後寒川駅とされた入場券も常備され、見たところ出札補充券の用意も在ったゆえ、越後寒川と変わらぬ範囲での発券の行われたものと推定する。ただし、それは全て上下外方駅を発着としたものである。
とは言え、地元の利用客は、それを知ってか知らずか乗車券を購入すること無く乗降していた。着駅清算の常態化していたのだろう。
運転/営業とも通常の旅客駅と変わらぬ存在であったこの信号場の、何が駅昇格を拒んだのかは分からない。

ここは、6.7パーミルの緩い勾配上にあって、上り列車は力行して通過していた。

[Data] NikonF+P-AutoNikkor135mm/F2.8  1/250sec@f5.6  Y48filter  NeopanSSS Edit by PhotoshopLR3 on Mac.

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コメント

Re: タイトルなし

こんばんは。

ありがとうございます。
道内版も、この内地版もカットはたくさん在るのですが、
その前に記事ネタが切れそうで.......。

今後ともよろしくご愛顧くださいませ。

  • 2012/11/20(火) 01:41:04 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

新ブログ登場ですね。
質も勿論ですが、量も凄い! 
舌を巻くばかりです。
内地版も楽しみにしております。

  • 2012/11/19(月) 23:29:00 |
  • URL |
  • 鉄道少年 #-
  • [ 編集 ]

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