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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

撫牛子-川部 (奥羽本線) 1981

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弘前を出た奥羽本線はR400曲線で右に回って市街地を離れると、浪岡までほぼ直線の線形を維持し、そこは平坦な津軽平野の中央部である。243メートルの第一平川橋梁を挟むこの区間も、それを除けば周囲は淡々とした農村地帯が続いている。
何の変哲も無い田園の景観に、ここへは何度か降りて歩いたものだった。国道からは離れていたからロードサイドの商業施設の派手な看板も見当たらず、線路と距離をおいて県道や農道を、時には畦道を辿りながら「風景」を探すのは楽しいトレッキングになっていた。そして、何も無いはずなのに毎回何かしらは見つけるのではあった。

この日、田舎館村豊蒔地区の収穫の済んだ畑作地には、なにやら夏祭りの仮設舞台然とした構築物の後ろ姿が見て取れた。傾斜して張られた屋根のシートが、それを思わせたのである。近づいて前に回り込んでも、やはり仮設舞台に見えてしまうそれは収穫物の乾燥施設と思われ,そこに干されていたのは見事な「にんにく」なのだった。
青森県がそれの生産県として周知され、ブランド化の進行したのは1990年代以降であり、その主要な栽培地は南部地方の十和田市や田子町とされるけれど、古くからこの津軽平野でも栽培実績があり、その中心地はここよりやや北の常盤村であった。ここ田舎館村域で生産されていても不思議はない訳である。
常盤村は2005年に藤崎町に合併し消滅したけれど、これも合併にて誕生した津軽みらい農協では、現在これを「常盤にんにく」としてブランド化を進めている。

にんにく畑の向こうを往くのは635列車。弘前-青森間の区間列車である。
弘前客貨車区へのオハ/オハフ50の配置は1978年度第一次債務計画により新製の35両に始まり、1979年5月10日より営業運転への投入の開始され、秋田-青森間の区間列車を含む上下33本中15本に運用されて、それは遠く羽越線の新津まで及んだ。この後、1979年度第三次債務計画車-28両の秋田運転区への配備、1981年度第二次債務車の弘前へ18両、秋田へ20両の増備を以て、1982年12月までにこの区間の在来型客車が一掃されたのだった。

[Data] NikonF3+AiNikkor28mm/F2.8 1/500sec@f8 Nikon Y48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR3 on Mac.
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