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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

及位-院内 (奥羽本線) 1975

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キハ181系特急形気動車を続けたいと思う。
<つばさ>運転線区の奥羽本線羽前千歳-秋田間は、東北地域幹線電化の最後の区間として1975年11月25日に電化開業を迎えた。黒磯以北に電化の及んでから16年目のことであった。
この日を以て<つばさ>2往復は485系電車へと置替られたのだが、それは耐寒耐雪装備を強化した1000番台車の出場が間に合わず、翌年に予定の長崎・佐世保線電化用の先行落成車を一時的に転用したものとなっていた。東北内陸のルーラル地域でのことで、上野口には<つばさ>の運用車以外に変化なく、その到達時分も20分の短縮に過ぎないとあっては、さほど話題に上ることも無いものではあった。
国鉄の緊縮財政、モラル低下の時代背景からか、特に秋田での行事も予定されないと聞き、11月24日に撮影に出向いたのだった。ポイントは、この区間最大の難所である雄勝峠に決めていた。

写真は、短い岩瀬トンネルに向けて第二雄勝川橋梁(315M)を渡る4D<つばさ2号>。上りの最終列車である。
この区間、峠頂上付近は、1356Mの院内トンネルの掘削により、この雄大な橋梁を含む新線に切替えられて曲線改良のなされたものの、輸送量の大きくは無い区間とあって標準勾配は20パーミルに緩和されたのみで、ここも19.7パーミル勾配上にある。4Dは、高出力機関のフルノッチの高速で駆け上がって往った。
この日は、1Dの折返しとなる12D<あおば>まで本系列にて運転され、仙台到着21時25分がこの地域における気動車特急の最後であり、それに横手から乗車している。
なお、この編成は秋田へ戻ること無く、翌日に仙台運転所から尾久へ向けて無動力回送された。

さて、この時点で59両の配置であった尾久客車区の本系列のその後である。
この内33両は山口線<おき>置替用として小郡機関区へ転ずるものの、これに再起するまで1年間失業し、予備車増強用として米子区と高松区へ送られた16両も、彼の地の配置は既に余剰気味だったのである。そして、尾久にも10両が残され、実車は東大宮の片隅に永く放置されていたのをご記憶の方も多いだろう。
この全ては、73年7月の中央西線電化に際して381系電車に置替られた名古屋機関区の<しなの>運用車の同区<ひだ>への転用計画が、現場の強硬な反対により頓挫していたことに起因する。本社では<つばさ>からの転用車で<ひだ>の増発を計画していたのである。
本系列の試作車にあたるキハ90/91系列から保守に苦労した名古屋区としては、未成熟な高出力機関をこれ以上受け入れられぬと云うことだったのだろう。73年10月にそこを去っていた本系列の再配置は無理な話だったのである。小郡機関区の<おき>運用も組合との折衝・説得に一年を要した結果と聞いている。
東大宮派出での留置は、余剰ながら法定耐用年数に達しないがゆえの措置であった。つくづく不運な車両群と思う。

[Data] NikonF2A+AiNikkor105mm/F1.8S 1/500sec@f8 Y48 filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR3 on Mac.
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