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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

焼石-少ヶ野信号場 (高山本線) 1987

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国鉄民営化の年である1987年には、一度も渡道しなかった。理由は、道内編の御影 (根室本線) 1974に書いた通りである。その代わりに、この頃一時的に暮らしていた福岡に居れば久大本線に通い、東京からなら高山本線とその周辺線区を撮っていた。

高山本線は1981年から通っていたけれど、まだまだ手が回らなくて、坂祝や白川口周辺に飛騨金山から下呂の区間、そして飛騨小坂-渚間に宮峠区間と云ったところをひとつひとつツブしていた頃である。高山以北はロケハンに終始していた。
この区間を含む均一周遊券は、一般用/特殊用とも設定されておらず、都区内発着で東海道/高山/北陸/信越/高崎/東北線を経由する片道券に、静岡-久能山下間の静鉄バスと下呂-湯ノ島間の濃飛バスを指定地接続線に付して普通周遊乗車券を組み、旅客鉄道会社線の2割引を得ていた。勿論、接続線は掛け捨てである。これにて、大垣夜行で出発して富山から<能登>で戻るのを行路にしていて、かつての会津通いのように、2・3日のオフが作れれば十分に楽しめたのだった。

写真は、第五益田川橋梁(158M)上での705D<のりくら5号>。下呂からは普通列車739D高山行きとなる。
名古屋南運転区の急行気動車-4両基本運用は、岐阜方1号車をキハ58の所定としていたけれど、実際にはキハ65の組成が多く、翌88年の3月改正からはそれが所定となった。

釣鐘トンネルから続く、この第五益田川橋梁は、桜の時期の国道41号線上からの画角で知られるが、この季節に益田川流路の巨岩から見上げると、傾き始めた太陽はその谷筋に一致して、15パーミル勾配を登る気動車の排気が逆光に浮かぶ。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S 1/500sec@f8 Fuji SC52filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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