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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

陸中川尻 (北上線) 1974

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奥羽本線の上野-秋田間特急<つばさ>にキハ181系の投入されたのは、1970年2月のことであった。
尾久客車区に50両を新製配置してのそれは、68年10月改正での中央西線<しなの>に続くもので、キハ80系気動車からの置替では最初の事例となった。機関の出力不足から板谷峠区間をEF71の牽引とされ7両に制限を受けていた編成組成が、高出力機関による自力走行化にて増結可能なこと、最高速度120km/hにて運転する東北本線区間の長く到達時分の短縮が望めることなどが、その事由として挙げられていた。
置替後の<つばさ>は10両組成に輸送力が増強され、最大で40分もの到達時分短縮を実現したのだけれど、所定編成を12両化した71年の7月頃から、福米間運転時の機関への高負荷に起因する故障の多発するようになり、翌年春には予備車の確保から編成の減車を余儀なくされるまでに至った。このため、遂には72年12月29日を以て、今度はEF71を補機とした協調運転が施行され、再び同機との連結編成が見られるようになったのだった。
それでも問題の根絶されたで無く、走行機関関連の不調は共通運用の<あおば>運用時に生ずることも勿論あった。

この日、11D<あおば>は、仙台を出て間もない塩釜-松島間にて逆転器の不調から走行不能となり、前途の運行を打切って、編成は所定経路の北上線にて秋田へと戻された。気動車設備の無い仙台運転所での処置が困難なためであろう。
実は、秋の道内撮影の途上、上野から<十和田2号>で北上線へと入り、第二和賀川橋梁にて<あおば>を待ったのだけれど定刻を過ぎても一向に現れず、2時間後の急行<きたかみ>にて代用してから、情報を取りに陸中川尻まで戻ったのだった。情報端末など無い時代ゆえ、駅間に居たのではそれは得られぬのである。
聞けば、まもなくその秋田運転区への回送が通ると云う。あわてて駅至近の第一和賀川橋梁へ引き返しての撮影が、このカットである。

やって来たそれは、DD51の重連に牽かれた無動力回送運転であった。サーヴィス電源も非稼働で車内照明が落とされた中、食堂車乗務員だけが手持ち無沙汰に見えた。
<あおば>の定刻からだと5時間余りの遅れである。

[Data] NikonF2A+AutoNikkor105mm/F2.5 1/500sec@f8 Y48filter Tri-X(ISO400) Edit by CaptureOne5 on Mac.
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