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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

津軽湯の沢-碇ヶ関 (奥羽本線) 1979

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波動輸送用として計画され、1970年に大阪千里丘陵にて開催された日本万国博覧会への観客輸送、所謂万博輸送に間に合わせるべく新製投入された、オハ12系急行形客車は、1969年6月に出場の先行量産車-18両に始まり1971年6月までに計468両、6両を単位にしていた編成にて78本が北海道・四国を除く全国に配置されながら、本当に新製名目どおりの波動輸送にしか使用されなかったのである。

この当時、輸送の繁忙期には多数の多客臨時列車が設定されており、定期列車の予備編成による電車・気動車列車も運転されるものの、大半は機関車牽引の客車列車であった。それは一部を除けば各区の予備車からの捻出によっていて、急行列車と云えどもオハ61やスハ32の組成も見られる遜色振りが、この系列の登場にて一変し、定期列車と臨時列車で旅客サーヴィスの逆転を生じたのである。特に夏期における冷房サーヴィスの有無は大きく、電車急行ですら普通座席車が完全冷房でない時代に、時刻表には「冷房のある臨時列車」として記載される程で、定期列車から溢れて仕方なく乗っていた臨時列車に旅客の集中する事態が出現したのであった。

けれど、これは確かに尋常とは云えず、定期列車の改善要求が利用者ばかりで無く部内からも挙がり、大阪-妙高高原間季節列車の7801-8801・8802-7802<ちくま1・1号>が1972年12月21日大阪発の運転より2編成併結の12両組成に置替られ、登場から4年余りを経た1973年10月1日改正にて、大阪-青森間501・502<きたぐに>、京都-広島間呉線経由の303・304<音戸2・1号>で定期列車への運用が実現することになる。
両列車とも在来型の寝台車や特別車との混結組成で、投入列車の選定に際しては、12系客車が6両組成を単位としており、普通座席車組成順位にその単位にて組み込めることが条件とされた。ちなみに、上記3列車とも宮原客車区の運用である。
この後、75年3月10日改正までに、尾久客車区・青森運転所の運用も加えて定期・季節で5往復列車が追加されている。(但し303・304は同改正にて列車廃止)

国道7号線の旧道脇で見かけた農耕小屋の向こうを往くのは、405列車<津軽3号>。
隣の電柱が歪んで見えるのは、何も広角レンズのせいばかりではない。この電柱、実際に反っていたのである。ファインダであまりに「曲がって」見えてしまい、何度も肉眼で確認し直した覚えがある。

<津軽>への投入は78年10月2日改正にて行われ、この後、79年4月の103・102<八甲田>、79年10月改正での205・202<十和田>と続き、<ニセコ>を除く定期列車の新系列化が完了している。
76年度から78年度までに125両を新製してのことであり、この久し振りの増備は急行列車の体質改善用と見て良いのだが、この時点で既に一部でオハ14系特急形座席客車の急行転用がなされており、今にして思えば些か疑問の残る施策ではあった。もっとも、この頃の夜行急行の座席にはまだまだ需要が在ったから、14系での増備は定員確保上から見送られたのかも知れない。

[Data] NikonF2A+AiNikkor28mm/F2.8 1/500sec@f5.6 O56 filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR3 on Mac.
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