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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

長町 (東北本線) 1972

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道内への往還途上で度々仙台に降りていたことは前にも書いた。仙山線への立寄だったり、市内電車の撮影だったりだが、その隣駅長町駅も東側に広い敷地を持っていた長町機関区ともども、苗穂駅との比較で興味深く眺めたりもしていたのだった。

逼迫した輸送需要に対して設備の近代化と改善を図った「第三次長期計画」途上の成果として実施された1968年10月1日改正にて、国鉄は東北本線の全線電化と複線化の完成を喧伝した。電車化された<はつかり>は上野-青森間を8時間15分と云う、当時としては驚異的な到達時分で駆け抜けたのは、その改良された線路設備に依る。
それとは無関係なのだけれど、厳密に云えば、この時点にて東北本線を構成する区間では3箇所に単線区間が残されていた。青森操車場に分岐して桟橋へと向かう貨物運転線を含めれば、確かに複線なのだけれど、旅客線の上下線の合流してしまう青森入駅直前の区間、岩切からの旧線の一部区間である通称-利府線、そして、この長町-東仙台間を宮城野駅を置いて短絡していた通称-宮城野貨物線である。(利府線は非電化でもあったから、全線電化も正確ではなかったことになる)
この内、1960年10月1日の開業時から全線で用地を確保していた宮城野貨物線は、1972年12月18日に長町-宮城野間が、ひと月後の73年1月16日に東仙台まで複線化されるも、残りの2区間は現在もなお単線運転である。

写真は、単線当時の広瀬川橋梁に市内電車撮影の折に立ち寄った際のカットである。煩雑に走る貨物列車に終末期を迎えつつ在ったED71を記録するつもりだったが、やって来たそれはED75を従えた三重連で驚いた記憶がある。長町機関区から宮城野への回送であろうが、全てパンタの上がった有火であるから正真正銘の三重連ではある。

貨物の長町駅は、上下の貨物運転線で広大な操車場と機関区/貨車区を抱込む配線となっていて、下りの貨物列車は長町駅場内信号機で上り本線を横断して東側の貨物着発線に入り、それはこの橋梁に結ばれていたから、長町駅のホームを貨物列車の通過することはなかった。上り貨物線は橋梁東京方で下り線と分かれて操車場の東端を進み、遥か名取川橋梁手前で旅客運転線へ合流していた。運転上は、この間3キロ余りの構内長を持っていたことになる。
宮城野までの複線化に際しては、橋梁青森方に旅客・貨物運転線間の渡り線が新設され、長町構内を本線にて通過する下り貨物列車の例を見るようになった。これは、73年2月2日から78年10月1日まで続けられた、仙台駅での新幹線工事関連の深夜帯旅客列車の貨物線迂回に対応してのことで、それの終了後も永く維持されていたけれど、操車場も機関区も無くなり、旅客施設自体も高架駅となった現在、宮城野貨物線への分岐は旅客ホームを過ぎた高架橋上での配線に改められている。

[Data] NikonF+P-AutoNikkor50mm/F2  1/125sec@f8 Y48filter  NeopanSSS  Edit by PhptpshopCS3 on Mac.
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