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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

赤坂田-小屋の畑 (花輪線) 1971

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内地に転居して、そこから北海道へ通うようになった頃、青函を渡る前の地域の蒸機運転は終末期を迎えていた。
この花輪線も1971年の秋にはDE10の投入が予定されていて、それを前に幾度か実施されたファンスペシャルに<八甲田>の客となったのだった。
この特別運行は、この頃には定期仕業で無くなっていた下り列車での前々補機、すなわち三重連を再現するばかりでなく、岩手松尾に転車台設備の無く、新町向きを定位としていた関係から後補機に限定された上り列車でも、それを施行するものであった。このためには機関車/乗務員/構内作業員の運用に大幅な変更を要して、盛岡鉄道管理局の大盤振る舞いである。

梅雨の季節にもかかわらず、午前4時前に到着した盛岡では大勢の下車があり、その待合室には一見してそれとわかる駅寝の姿も見られて、大館行きの始発列車は岩手松尾や龍ケ森を目指しての撮影者で満員の有様であった。龍ケ森に降り立てば、定番の腰の森トンネル出口側のR302曲線区間と云い、龍ケ森トンネルを赤坂田側に抜けた区間と云い、沿線には人々の貼り付いて、とても画角の選べるものでは無かった。人出のある現場は、函館線の上目名で経験済みではあったけれど、ここはその比ではなく無秩序で罵声の飛び交う様には呆れたものだった。
この光景は、まもなく各地で再現されることとなり、それは大半が鉄道屋とは云えぬ俄参入者によるものと思う。

この大場谷地峠区間の喧噪に嫌気の差し、翌日には、そこから下った里の区間にロケハンして、安比川橋梁近くに稲架掛け(はさがけ)の木組みのある景色を見つけた。
列車は、966列車。前述したように通常なら見られない上りの三重連運転である。
まもなく差し掛かる22.7パーミル勾配に備えて力行してくれたのが有り難かった。

[Data] NikonF+P-AutoNikkor50mm/F2 1/250sec@f5.6 Y48 filter NeopanSSS Edit by PhotoshopLR3 on Mac.
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