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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

八森 (五能線) 1971

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八森付近の五能線は、日本海へと続く斜面の縁にあたる台地上に敷設されていて、八森駅もそこに設けられている。用地の関係からか駅本屋はその台地下に建てられ、乗降場との間を木造の囲いと屋根の在る階段通路が結ぶ、情緒ある造りである。当然本屋からは列車の監視は出来ぬ故、閉塞装置の置かれた運転室が、2面2線の対向式乗降場の下り本線側に置かれていた。
この下り乗降場は実際には島式で、その下り本線と反対側も線路に接していたのだけれど、それは貨車の授受線で旅客に供用されていた訳では無い。その授受は大日本鉱業(76年に日本海金属となる)の発盛製錬所専用線との間にて行われ、それは海岸沿いの工場敷地までの653メートルの延長を持っていた。そこには電車線路が設備されていたのである。

五能線には、ここからの出荷貨物に対応して東能代との間に1往復の区間貨物列車が設定されていた。
下りの1293列車は、正方向の8620蒸機に牽かれた数両の貨車にて15時16分に、この授受線上に到着し、機関車は直ぐに解放されて外側の機回線を伝って上り方に出て待機する。まもなく、専用線からポール集電の小さな電気機関車が現れ、この貨車編成を工場へと牽いて往くのである。
この小型機関車は、当時の鉄道誌の記事に依れば、三菱電機が鉱山や工場向けにカタログ化していた事業用車両で、本来は762ミリや610ミリの狭軌用を、ここでは1067ミリ用とし、幌の掛けられる程度の運転席を寒冷/強風に対応して側と屋根を設置したものらしい。そこに書かれていた通り、その造作は運転席に設けられた窓とともに如何にも屋台然としていて、そこからオーダーすればラーメンの一杯やら出て来そうな雰囲気ではあった。
工場からは、積車となった貨車を推進運転にて運び出し、件の授受線に据えてしばらくすれば、給水を終えた8620が接近して連結、17時03分に1292列車として逆向き運転にて発車して行くのである。

写真は、構内で待機する8620。この一山は五能線管理所(弘前)の運用であった。
屋台機関車との並びを押さえたいところなのだが、その際には、カットにも見える給水塔で水を呑んでいて叶わなかった。
右が工場への専用線、機関車の後方が能代方の本線、給水塔の向こうに見える建物は構内手の詰所である。

[Data] NikonF+P-AutoNikkor50mm/F2 1/125sec@f8 Y48 filter NeopanSSS Edit by PhotoshopCS4 on Mac.
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コメント

つまらない駅になりました

こんばんは。

「津軽」シリーズのドキュメンタリィ、興味深く拝見させていただいていました。
ここは、かつての下り本線を残して、構内の線路は全て撤去されてしまい、所謂、棒線駅と化しています。
ひろい駅務室の本屋も、物産館やらと合築のつまらない建物に変わりました。
唯一の救いは、そこからの階段通路が残されていることでしょうか。
この駅常備の大日本鉱業所有の私有貨車まで存在したなんて、想像もつかない変わり様です。
鉄道の楽しかった時代は、もう二度と帰りませんね。

  • 2013/01/16(水) 22:46:37 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

八森のゲテモノ

こんばんは。

八森のゲテモノ電気機関車、どこかの写真で見たことがあります。
形は良く覚えていませんが、ラーメンの屋台とは、確かにそんな
雰囲気だったと笑っちゃいました。

八森も今はどんな駅になっているんでしょうね。

  • 2013/01/16(水) 00:35:46 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

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