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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

黒沢 (北上線) 1972

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北上線の無煙化は68年には達成されていて、この当時のターゲットは、専ら71年3月から毎日運転の臨時特急として仙台-秋田間に運転を開始した、181系気動車による<あおば>であった。
この設定は、国鉄東北支社の強い要望にて実現したもので、尾久客車区による<つばさ>運用の秋田における長時間滞泊の間合いを利用していた。当時、北海道と四国島内を除けば首都圏なり関西圏を発着地としない特急の設定は珍しく、他には門司港-西鹿児島の<有明>に金沢-新潟間<北越>の例を見る程度なのだった。
運転開始当初は、<つばさ>編成の5号車に組成のキハ181を上野向きに方転し、10号車までの6両を付属編成としての運転であったが、71年の7月の<つばさ>編成の増強以降は、臨時列車のままながら特別車/食堂車を含む基本編成の7両とされ、翌年3月改正にて定期列車に昇格していた。

道内への旅の途上での立寄は、東北線からの支線ゆえ容易く、上野を21時前の夜行で発ち早暁の北上に降り立てば良かった。
前途は、72年3月改正までなら北上を20時の昼行<十和田>があって、そのまま青函の深夜便に接続したけれど、改正以降はこれが特急に格上げされてしまい、盛岡まで電車急行を使って、そこから特定特急券を別払いしてそれに乗らざるを得なかった。

初冬のこの日、早朝の北上での雨は標高が200メートルを越える錦秋湖岸から雪模様となり、岩手湯田から先は本格的な降雪となっていた。
写真は、黒沢から3キロ程戻った、この線のサミット付近での11D<あおば>である。
閑散期に10両へ減車された<つばさ>編成は、週末/休日等には付属編成を解放せずに<あおば>に運用されることが多々あった。

[Data] NikonF+P-AutoNikkor50mm/F2  1/500sec@f5.6 Y48filter  NeopanSSS  Edit by PhptpshopCS3 on Mac.
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