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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

福来信号場-焼石 (高山本線) 1982

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北海道内の特急列車と云えば80系気動車であったから、内地に転居すれば、そこの同系列の列車が気になった。
奥羽線の<つばさ>は70年2月にキハ181系に置替られていて、上野に発着していたのは、それから転用のキハ81を組成した<いなほ>に共通運用の<ひたち>であり、これは羽越線への蒸機撮影の折には、<白鳥>共々必ず撮っていた。
高山本線の<ひだ>も気にはしていたものの、食堂車の組成の無い特急らしからぬ編成(道内にも<おおとり>の例があった)に躊躇してしまい、そこに向かうのはずいぶんと後のことになる。
けれど、そこは訪れてみれば実に魅惑的な線区であった。ついつい道内編の御影 (根室本線) 1974にも書いてしまったのだが、そのロケーションも然ることながら、客車列車の設定こそないけれど、80系気動車や名古屋鉄道8000系による特急とキハ58/28の気動車急行の優等列車群に加えて、DD51牽引の貨物列車の設定も在って、それを40kgレールに薄い道床の軌道で輸送を支える姿は、電化前の奥羽線や羽越線の持っていた亜幹線のイメージそのもので、それに魅せられてしまったのだった。ただし、運行管理は美濃太田に設けられたCTCセンタによる近代化線区でもあった。

東京からは遠く無く、2・3日の休みの取れれば大垣夜行で岐阜に向かい、<能登>で富山から戻るスケジュールで通っていたのだが、84年の4月に北海道均一周遊券(第三種)-販売名ニューワイド周遊券の発売されてからは、その自由に経路の選べたX券を東海道/高山線から日本海縦貫線を北上するルートにして、道内撮影の途上に組み入れたりもしていた。これだと、首都圏発着に縁のなかった<日本海>に乗れる楽しみもあったのである。

写真は、第一/第二境平橋梁上の1033D<ひだ3号>。この日は基本編成に2両の増結がある。
キハ82の優美さは変わらないが、特急としての風格は幹線のそれである道内特急に敵わない。
下原ダム湖岸に位置するこの橋梁は、1920年代の建設工事着手後にここへのダム設置が決まり、その満水位が高山本線の施工基面と同位となるため、急遽縦断面線形の設計変更により架橋されたものである。近年には、高山本線の定番撮影地としてつとに名高い。
国道41号線側のここには、喫茶店とトラックドライバ相手の食堂が在り食事に困ることは無かったが、食堂の方は99年に廃業してしまった。今も喫茶店は健在だけれど、10年程前に経営者が変わったはずである。

[Data] NikonF3P+AiNikkor50mm/F1.8S 1/250sec@f8 Fuji SC48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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