70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

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谷峨 (御殿場線) 1992

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蒸機機関車と云うものは確かに撮り歩いたのだけれど、殊更に思い入れを抱いていた訳では無い。小樽に、そして手稲に暮らした頃、それはあまりに身近な存在で、線路端に立てばD51にC57は必ずやって来たし、時間を選べばC62にも出会え、C56にC12、9600は入換に忙しかった。機関車列車は当たり前で、機関車と云えば蒸機しか居なかったのだから、鉄道趣味とすれば、それは機関車趣味なのだった。興味は、当時に続々と投入されつつあった内燃動車に向いていて、威厳を伴っての特急形は勿論だが、長編成を組んだ急行形が排気を天に吹き上げながら、轟音とともに発車して往く様などには心躍らせたものだった。それに乗れば乗ったで、速度を落として場内を通過の後、エンジンを噴かして猛然と加速するのは機関車列車では味わえない快感でもあった。なので、機関車趣味は蒸機から受け継いで、内燃、電気を問わないのだが(その流れでは当然に客車屋でもある)、自走旅客車なら圧倒的に気動車屋である。
おそらくは、そう云った趣味の形成期に身近ではなかったせいなのだろうが、対しての電車にはほとんど興味を持てなかった。それは写真屋としての行動にも如実に現れており、電化区間での撮影を電気運転設備の存在を事由に煩わしいと感ずるのも、それゆえと思える。内燃車両が本線列車の主役で在り続けた北海道へと、そこを去った後からも永年に通い続けた動機でもある。

1971年に内地へと転居すれば、そこは国鉄・大手私鉄とも電車の世界であり、しばらくは東京急行電鉄で、1987年からの四半世紀もの間は小田急電鉄で都心とを往来しているものの、頻繁に利用する通勤形の旅客電車には一向に興味の沸かない。せいぜい、2400形なら先頭車が混雑するとか、2600形や4000形は夏場には避けた方が賢明だとかの利用者知識に、9000形の斬新なデザインに感心した程度であり、近年でも1000形のVVVFのパルス音が無くなったのにも、3000形(2代)の1・2次車の前頭部太帯の細帯化にも暫く気がつかなかった程である。
小田急は多くの特急車も運用しており、原型の失われた後ながら3000形にも3100形にも接する機会の幾度も在ったし、新鋭の50000形のフォトジェニックなフォルムには魅力を感じてはいるのだが、どうにも撮りに往こうと云う気にはなれずにいる。

散り際の櫻を車窓に谷峨を抜けて往くのは5M<あさぎり5号>。
2両のダブルデッカー特別車に半個室のソファ席まで持っていた20000形は、バブル経済に踊った時代ゆえの車両だったろう。
これを撮りに出向いたで無く、山北へ櫻を眺めたついでに足を伸ばした際のスナップをお詫びする。とは云え、ライブラリに小田急車のカットはこの一枚しかない。

[Data] NikonF3+AiNikkor 85mm/F1.8  1/125sec@f2.8  NONfilter Kodak Ektar25 Professional Edit by LightroomCC on Mac.

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