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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

杉原 (高山本線) 1996

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子供時代を札幌近郊で過ごしたので小学校での冬の体育科目はスキーだった。校庭には雪を積上げた斜面の造られていたし、荒井山へのスキー遠足も定例の行事となっていた。スキー板は運動具店ばかりでなく、靴屋は勿論、荒物屋に雑貨屋に、果ては学校前の文具店でも売られており、何より私道まで除雪の行き届かない新興住宅地に、それは通学手段でもあった。
日常の履物には特にスキー場まで出掛けて往く、と云う意識も薄かったから、内地に転じては自然と遠ざかっていた中で、おそらく二十代後半の頃だったと思うけれど、誘われてゲレンデに立てば、十数年振りのスキー板には難なく乗れたものだった。さらに二十年を経た四十代後半の時にも身体は覚えており、きっと今でもすぐに滑れるだろう。ただ、生憎と永年に混雑したゲレンデに出掛ける気にはなれず、それを趣味に楽しんだことは無い。けれど、降雪の頃となればスキーやスキー場のことは気には掛けていた。

日本生産性本部による「レジャー白書」に見れば、日本のスキー人口は1993年度に1770万人で過去最高を記録して以来に長期低落傾向に在り、2013年には480万人まで減じている。1997年より統計に現れるボード人口を加えても770万人である。しかも、ひとりのスキーヤーのシーズンにおける「平均参加回数」も1990年代前半の6回から2000年代には4回へ減少したとされている。
この事態は当然ながらスキー産業全体に影響を及ぼして、2000年代半ばに至れば中小スキー場の休廃業の目立つところとなっている。

宮川村(2004年から飛騨市宮川町)杉原に所在の「白木ヶ峰スキー場」も呷りを受けたひとつである。2008年度に年間入込み客数を3900人まで減らしたところで、経営する宮川スキー場開発株式会社(*1)は2009年度を週末に祝日だけの営業とし、続く2010年度の全面休止を経て、2011年12月12日付にて廃業・閉鎖を告知したのだった。
腰掛部を取り外された延長476mと572mの二基の特殊索道(*2)は積雪に埋もれ、夏期には錆びた姿を晒していたのだが、2013年春から解体工事の始まり6月にはすっかりと取り払われてしまった。
スキー人口が、まだ300万人台だった1972年12月24日の開業と記録されるここは、将来のそれの伸長を見込んでの地元資本による建設であり、近年の国道360号線新道である宮川細入道路の開通まで鉄道に限られた積雪期の富山側との往来には、開設期間中に金沢・富山着発の急行列車が杉原に臨時停車してスキー客を送込んでいた。勿論に名古屋方面からの入込みにも利用されたことだろう。それは、急行が特急列車に格上げされて以降の2002年度シーズンまで続いた。多くのスキー客の姿を認めた待合室には要員無配置化以降もストーブの焚かれていたものだった。
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(*1) 実質的に宮川村
(*2) 1980年1月に288mの一基を増設

峡谷を刻む宮川沿いの僅かばかりの緩斜面に開けた杉原の集落は、飛騨地域独特の屋根裏部屋を持つ切妻様式の家々の並ぶ景観に趣の在った。北側の牧花トンネル上部から眺める構内はそれを背景にした好きな画角で、季節や天候を変えて幾度も撮っていた。
散漫になるので画角からは排除しているけれど、此処に立てば白木ヶ峰スキー場の斜面が良く見える。
列車は828Dを待たせて通過する1021D<ひだ1号>。西日本旅客鉄道のキハ120が高山まで入っていた頃である。

[Data] NikonF5+AiAFNikkor ED180mm/F2.8D 1/250sec.@f5.6 C-PL filter Ektachrome Professional E100SW [ISO160/0.5EVpush] Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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