FC2ブログ

70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

下油井 (高山本線) 1997

shimoyui_02-Edit.jpg

高山へは大抵、横浜から大垣夜行に乗っていた。それの<ムーンライトながら>となってからも同じなのだが、「18きっぷ」のシーズンと重なれば、熱海から自由席客の乗り込む混雑に、深夜帯に入っても減光しない車内(375系にはその機能が無かったのだろう)、何より夜行慣れしない同乗客達のざわめきに閉口したものだった。今の185系での臨時運転は知らぬけれど、あまり変わらないだろう。鉄道の旅好きが多いはずの乗客には、静かでないと夜行の旅は味わえぬと申し上げたい。もっとも、減光もしないあれは昼行列車の延長のような列車だったのかも知れない。

岐阜に6時38分に到着して高山線ホームに向かえば、そこにはその日の<ひだ>全列車の編成表が掲げられていて、増結も多くて日毎に異なった編成長を確認出来るのが有り難かった。折り返しで停まっているキハ11の223Cは6時58分の発車で、これから美濃太田でキハ48-2両組成の229Dに乗継いで、時間的に高山以南に決めていた第一日目の撮影地点に向かったのだった。
229Dは下油井で高山を7時17分だった22D<ひだ2号>との交換に10分余りを停車して、その間にはホームに降りて駅の佇まいを眺めていた。CTC制御の導入が1968年9月と早く、それを線区経営の合理化とリンクさせるテストケイスでもあった高山線では、駅からの全ての要員引上げに際して構内通路によっていた上下乗降場間の連絡に律儀にも対象全駅に跨線橋を設置した。1920年代から30年代の開業時以来の姿を留めていた構内に時代の異なる異質の構築物の進入はその鉄道景観に馴染まず、違和感を覚えずにはいられないのだが、積雪地帯の壁面に屋根を伴った従来の跨線橋の範疇は良いとしても、それの少ない地域の各駅の道路横断歩道橋設計を流用した構造は古い駅舎に実に不似合いであり、山脚の斜面の迫る飛騨川沿いに曲線を描いた趣在る下油井でもそれを台無しにしていたのだった。
さらに付け加えれば、東海旅客鉃道は1997年までに管轄全駅の乗降場に白く塗られたパイプ、若しくは網状フェンスによる進入防止柵を設置した。高山本線も例外でない。この全くにその目的を果たしていない設備は、その冬の積雪で飴のように歪んでしまえば放置されるなど、その設置意図が分からぬのだが、一節には同時に施工の視覚障害者誘導用ブロックと共に、株式の上場の前にした同社が市場に全駅への安全対策施工をアピールする小道具だったと云われている。
これもまた、小駅構内の良い雰囲気をぶち壊してくれたいたのである。幸いにも、下油井の鷲原方には従来からの鉄柵の在って、設置は避けられていた。

下油井場内にゆっくりと進入するのは1027D<ひだ7号>。高速化工事の対象区間とは云え、ここは線形からもスルー化は見送られ通過列車は65km/hの制限を受ける。
富山行きの高山までの8両編成は所定での最長組成であり、特急列車の3両とか5両組成が当たり前と化した時代には十分に長編成に見えた。それの後部までを障害物なく画角にする位置を選んでいる。
画角には駅前の小さな集落が些か邪魔をするけれど、それも含めて曲線の構内に山脚の迫る背景も風趣である。せっかくに、後方の大銀杏が黄色に染まる時期を選んだのと云うのに、数日前の風雨に葉の散ってしまっていた。

[Data] NikonF5+AiAFNikkor ED180mm/F2.8D 1/250sec.@f4 C-PL filter Ektachrome Professional E100SW [ISO160/0.5EVpush] Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

関連記事

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://monochromeyears.blog.fc2.com/tb.php/272-1233ff02
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)