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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

三見-飯井 (山陰本線) 1974

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もう20年程前になるけれど、音楽学校の講師もしていた友人のギタリストから興味深い話を聞いた。ロックギターを教える彼の講座へ「ギターを触ったことも無い」生徒が現れたと云うのである。これには些か驚かされた。
だいたいにしてロックギタリストを目指すような少年は、それに憧れてエレクトリックギターを手にし見よう見まねで奏法を覚えて、やがてバンドを組んで活動を始めれば、幸運にもそのままプロデビューを果たすか、或は、それを職業と捉えれば、より高度なテクニックや音楽理論を学ぶべく彼のような定評の在るミュージシャンのもとへとやって来たものである。そして泡良くば講師連中の弟子に潜り込みプロへの糧としたのだった。
彼によれば、その2・3年前から生徒の質の変容に気がつき、いつかそんな生徒を予期していたと云う。
ありとあらゆる職種の職業学校が存在し、多くの大学校も実体はそれと変わらなくなり、巷には多種の講座や教室の乱立しながらも盛況な現状への萌芽は、その頃からあったと思わせるエピソードではある。自ら学び取るでなく、教えてもらうことが当たり前と化した感がある。

この受動傾向は趣味の鉄道屋の世界にもいつかしらに入り込み、調査・研究が醍醐味であったはずのそれが結果ばかりの求められる昨今である。鉄道雑誌は、例えば車歴表の全文など公開しない方が良かろうとさえ思う。
写真には付き物の撮影地ガイドの類いも同様で、それの功罪に関する議論は70年代からこの方に存在したのだけれど、近年に顕著な、地点を明示して画角までを教授する余計なお世話は、「罪」の側面を助長するばかりに思える。このBlogへのアクセス解析に、高名とされる撮影地点を挙げて「行き方」などとの検索語句の記入をみれば、古い鉄道屋はますますにその感を強くするのだった。

西山陰の益田以遠区間は、当時の撮影地ガイドに「鄙びた漁村」が点在し「落ち着いた写真の撮れる」とだけ在り、後は実際に降りて歩けとの趣旨の記述はガイドとして必要にして十分だった。加えて「あまりファンの出向かない土地」と書かれていたのも、ご同好と鉢合わせして思ったような画角の採れないことを散々に経験していた身には有益な情報と云えた。
その区間に位置した三見の駅前から旧赤間関街道の思いがけない趣の街並のことは前にここへ書いている。→ 三見 (山陰本線) 1974 それを辿っての、五万分の一地形図で事前に当たりを付けていた尾ヶ崎を回り込んだ海岸線は、岩礁への白波が街道沿いの松林に映えて風光明媚として良く、それは確かに端正な「落ち着いた」景観と覚えている。
ただし、この区間で機関車の力行はあまり期待出来ず、尾ヶ崎トンネルへと向かう被写体は2012D<まつかぜ>とした。

[Data] NikonF2A+AutoNikkor50mm/F2 1/125sec@f8 Y48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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