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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

会津西方 (只見線) 1972

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三好達治に良く知られた二行詩がある。

  太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
  次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

実を云えば、これには「死」のイメイジを抱いていた。
最初には何処で接したものかは覚えていない。国語の教科書か、学校図書館でたまたま手に取ったのだろうと思うけれど、それ以来の印象だ。
「太郎」「次郎」は無名の数多の人々であり、「眠らせ」は棺「屋根」は墓標の暗示と受取っていた。
ただし、寂滅の暗黒な死では無く、清冽な光溢れる黄泉の国のイメイジである。

この二行詩を知って間もない頃だったのか、会津地域を旅していて唐突にそれを思い出していた。撮影地点を探して歩き回れば、至る所に小さな野仏と観音像の菩薩様や道粗神の神々、それに地蔵様がこんもりと雪を被るのが見出せ、小さな集落とあれ寺院も所在して山里の人々の深い信仰を伺わせた。そして、その外れでは先祖代々の墓所がひっそりと雪に埋もれ、降雪の下であれ、陽光に眩しい中であれ、件の二行詩の深閑としたイメイジが具現されていたのである。深い雪にも参る人のいるのだろう、踏分を辿ってそこに立てば杉木立を背景に柔らかな積雪を纏った斜面に続く墓標は、確かに浄土に続くに違いないと思わせるに十分な景観を見せていた。
近親者を順番に「眠らせ」、雪の墓標の下に送ることは、山里で代々の続くことへの感謝でもあろう。雪は祈りをもって降り積むのである。

会津西方近く、第二只見川橋梁を渡って往くのは8460列車。臨時貨物だったけれど、この頃には毎日運転されていたと思う。
会津西方は1941年10月28日に当時の大沼郡西方村に置かれての駅名であったが、西方を名乗る中心集落を下った名入に所在した。戦前期までは対岸の宮下村川井集落との間に小舟の「渡し」が開かれ、川岸まで急坂を降りたところが舟場と呼ばれて船頭小屋が在ったと云う集落である。第二只見川橋梁は只見川に架けられた最初の橋であったから、徒歩での集落間の往き来にも利用され鉄道もそれを黙認したものと思う。
撮影の合間に小さな名入集落を歩けば、ここにも隆昌寺なる寺に観音堂も認め、道端には野仏の姿があった。

[Data] NikonF PhotomicFTN+P-AutoNikkor5cm/F2 1/250sec@f8 Y48filter NeopanSSS Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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