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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

小波渡 (羽越本線) 1972

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小波渡は1944年10月1日付にて信号場として開設されている。その設置時期から知れるとおり、アジア太平洋戦争の戦況悪化により発動された「非常陸運体制」における北海道炭の京浜地区への年間300万トン輸送遂行に際して緊急に設けられた輸送力増強施設のひとつである。その背景については WebSiteの記事にまとめているので、御参照いただきたい。

石炭を満載したトキ900を連ねた1200t輸送列車は、青函を航送されると定数制限に分割を要し、東北/常磐線のほか奥羽/羽越/信越/上越線経由の日本海回りでも運転され、これら線区の線路容量確保に多くの信号場が設置されたのである。その数は、東北/常磐線で21箇所、日本海経路線上で25箇所にも及んだ。(具体的箇所は追記に掲げた)
迂回経路にて輸送距離も輸送時間も長くなる日本海回りも採用されたのは、東北線系統の容量もあるけれど、そればかりでは無い。その経路が青森から栃木に至る県境越え区間毎に補機を要したのに対して、日本海線では矢立峠に上越国境区間程度であり、しかも後者の核心区間は電気運転が実現していた。よって、石炭の消費量が少なく、動力費上に優位だったのである。主要経路はこちらだったとして良い。同じ理由で、東北線を南下した列車も大半は仙台以南を補機のいらない常磐線経由としていた。

五十川-三瀬間の7.5キロへの信号場設置には、線形から小波渡集落の後背斜面中腹を切取りで通過していた地点以外には考えられず、前後の分割区間での線路容量に偏りの生じてしまうが、集落住民には朗報であったろう。おそらくは設置当初より便宜的客扱いの行われたものと思う。日本国有鉄道の発足して間もない1950年2月1日付にて駅に昇格とされたのだった。
写真は、小波渡を出発して往く838列車、新津行き。
たまたまホーム上で見送った貨物列車の緩い曲線のカントに傾きながらの姿に見とれてしまい、次の旅客列車を待って撮影したカットである。
この曲線のホームは1972年の電化後もその姿を留めていたが(写真に電化柱も写り込んでいる)、1977年10月18日の五十川方の複線別線への切替、翌1978年9月26日の三瀬方での上り線別線線増により、下り線となった既設線部分を除いて直線に改修されてしまい失われた。下りホームに建てられた本屋は信号場以来と思われる簡素な造りだったと記憶する。
小波渡漁港に突き出ていた防波堤の先から振り返れば、集落の一番高いところに赤いトタン屋根のそれが目立っていた。

[Data] NikonF PhotomicFTN+P-AutoNikkor135mm/F2.8 1/125sec@f5.6 Y48filter NeopanSSS Edit by PhotoshopLR5 on Mac.


「戦時陸運ノ非常体制確立ニ関スル件」(1942年10月6日閣議決定)に基づく陸運体制下にて設置の信号場(北海道内を除く)

[東北本線] 小川原・滝見・西岳・吉谷地・渋民・長根・中通(岩手飯岡)古館・衣川・真柴・清水原油島・畑岡・梅ケ沢・谷地中・新松島(松島)北塩釜(塩釜)磐城西郷(新白河)
[常磐線] 桃内末続
[奥羽本線] 矢立(津軽湯の沢)金岡(北金岡)鯉川上飯島・八幡田
[羽越本線] 東酒田・北余目*・小波渡小岩川今川中浦神山京ヶ瀬
[信越本線] 古津田上保内東光寺・苅谷田
[上越線] 越後山辺・越後下島(北堀之内)越後大沢(大沢)・茂倉・下牧・津久田井野

下線の個所は駅に昇格して現存する。( )内は改称駅名。但し、津軽湯の沢は移転別駅。
* を付した北余目は、現行駅とは無関係。
なお、この他に阪神工業地帯への輸送に信越/北陸線にも事例がある。

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