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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

後三年 (奥羽本線) 1979

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まだ仕事写真屋としては駆け出しだった頃のこと、或るフォーク雑誌の編集者と前夜の<津軽2号>で上野を発ち、雪の十文字に降り立ったのは1979年の正月を過ぎてからと記憶する。朝の便で秋田空港に飛べば済む話しなのだけれど、二人とも羽田への早起きの苦手とあっては、その分で夜行のA寝台を選んだのだった。
この横手盆地への用件とは、ここからメジャーデビュウを果たす農民フォークグループ「角石(かどいし)」と、その楽曲に詞を提供した農民彫刻家、皆川嘉左衛門氏の取材であった。
皆川氏も阿部養助氏らメンバー4人も自ら「百姓」を名乗る、そこで何代も続く米造り農家の後継者だった。出発前に試聴盤で聴かせてもらったデビュウ曲「若き百姓よ」は、そのストリングスをフュウチュアしたアレンジには些かの違和感を覚えたものの、当時の歌謡曲化したフォークシーンでは永らく耳にしなかった強烈なプロテストソングに違いなかった。

農政の1970年代は減反政策の時代であった。稲作は60年代に機械化や技術革新にて生産量の飛躍的な増加を見た反面、消費量は低迷し国家の買入米は在庫が積み上がっていたのである。この事態に対して政府は1970年度より政府買入米の限度を設定し、農家の懐柔策として「ヤミ米」と呼ばれていた政府管理外の米流通を追認する一方、コメ以外の作物への農地転換を補助金を以て誘導した。この転換促進は名目上には農家の自主性を尊重するとしながらも、農村への一般補助金の支出を一方的に配分された転作面積の達成を条件とするなど、実質的な強制措置であった。戦後一貫して食料増産に邁進させられながら、高度成長下の恩恵を受ける程に所得の伸びないばかりか、出稼ぎ労働力として搾取され続けた「百姓」には堪え難い屈辱政策だったのである。彼らの多くは転作、実質の減反配分に対して補助金を受け取ること無く、耕作放棄にて応じた。一度休耕した圃場の復旧は物理的に容易ではなく、食料生産面積の失われることでの抗議の意志表示として良い。耕作条件の良く無い山村の棚田から荒れ地化の始まり、鉄道の車窓に休耕田の多くを見るようになったのが、この時代であった。

皆川氏の自宅アトリエでのメンバーへの取材と撮影の後、二階屋のさらに屋根上に突き出すように設けられた見晴らしの良い小部屋に案内され、白昼からの宴会と相成った。例によってビールの乾杯に始まったそれは酒へと移行し、炬燵と差し込む陽光にほろ酔いの頃、持込まれたのが自家製と云う焼酎の数々だった。と云うことは、おそらく密造酒だったのかも知れぬが、もう時効だろうから書いてしまう。米焼酎に芋、麦、蕎麦と定番の続いてはホップ焼酎だった。焼酎なのだけれど、呑めばビールの味には面白く、ついつい杯の進んでしまった覚えのある。

この年、十文字にはこの取材を始めに都合三度足を運んだ。雪の溶けた5月には、「角石」が毎年に主催している野外コンサート「さなぶり(早苗饗)歌っこ祭り」を覗かせていただきに、そして収穫の秋にポップ焼酎が出来たと誘われて道内旅行の途上に立ち寄ったのだった。
写真は、米沢から秋田への445列車。その際に横手盆地北部まで足を伸ばしてのカットである。稲穂の海を渡る列車も良いけれど、刈入れの終わり杭掛けのハサの立ち並ぶ晩秋の景観には惹かれる。
「角石」と皆川嘉左衛門氏についてはWebに多くの記事が在り、その「若き百姓よ」「休耕田に佇つ百姓」もそこで聴くことが出来る。商業的には惨々だった彼らだったけれど、30余年を経てもそれを記憶している方々の多いのに驚く。確かに「聴かれ」ていたのである。リーダー阿部養助氏は還暦を過ぎて羽後町の町議を務められ、そして現役のミュージシャンでもある。

[Data] NikonF2A+AiNikkor28mm/F2.8 1/250sec.@f8  Y48 filter  Tri-X(ISO320)  Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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コメント

Re: ホップ焼酎

こんばんは、影鉄さん。

ホップ焼酎。焼酎ですから発泡してた訳ではありません。
穀物なら何でも、とにかくは酵母で発酵しますから、ホップのどぶろくを蒸留したのでしょうね。
発酵酒のままでは、とても呑めない代物なのですよ、きっと。
それを燗と云うか、やかんで直接に炭火にかけ温めていただきました。
なんとも不思議な味。また呑みたいものです。

  • 2014/10/18(土) 00:20:57 |
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  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

ホップ焼酎

こんばんは。
面白そうな飲み物ですね。
どのような味かはとても容易く理解出来ますが、シュワシュワ(炭酸)していたのでしょうか。

名古屋在住時に近所の料理屋の親父さんから葡萄酒の作り方を聞いた記憶があるのですが、実際に作ったかどうかまでは覚えていません。

  • 2014/10/17(金) 19:38:40 |
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  • 影鉄 #-
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