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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

落合川 (中央本線) 1972

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何かしらの鉄道年表を開くと1960年代には「◯◯-◯◯間複線化」なる記載の続くのを見て取れる。それは、戦後復興からの急速な経済成長にともなう逼迫した輸送需要に対して、国鉄が1961年度を初年度とした「第二次五か年計画」、1965年度からの「第三次長期計画」により、全国の幹線線増を進めた時代の成果であった。苦しい予算事情からは必要最小限の投資ではあったけれど、今に年表を眺めれば、陸上の基幹輸送機関としての国鉄の躍動の感じられる記述ではある。輸送力増強を背景には新しい列車や興味ある運転がダイヤ改正の度に示され、鉄道趣味者としても最も楽しい時代だったに相違ない。

中央本線も1960年度末時点で、1913年度末までに使用を開始していた東京-高尾間の国電区間を除けば、全線に信号場の増設で急場を凌ぐ単線が続き、「第二次五か年計画」にてその343.8キロ中182.6キロの線増が計画された。西線と呼ばれた塩尻以西区間では、都市近郊区間となる名古屋口より着工され、1962年9月21日の千種-大曽根間を最初の区間として1963年度末までに計画の名古屋-高蔵寺間が複線運転となっていた。以後は「第三次長期計画」に引継がれ、電気運転化と同時の中津川までの延伸と以遠での隘路区間に着手されたのだった。
落合川から坂下への6K150Mは、木曽川沿いから外洞川の谷の狭隘な地形を通過していた既設線に対して、新瀬戸山トンネル(l=1110M)と第一高峰山トンネル(l=1138M)を掘削し、第二高峰山トンネルで既設線の梅ケ沢トンネルと併行する別線線増とされ、1968年9月25日にこれを上り線(下り列車運転線)とする複線使用を開始した。
この際に木曽川に既設線の第一木曽川橋梁下流側に架橋された新第一木曽川橋梁(l=143M)は、そのクーパー/シュナイダー設計になる1907年アメリカンブリッヂ製下路式ペチット型ピントラス橋と同径間(93.3メートル)の下路式単純トラス橋が採用され、既設線側が架け替えられる1972年まで新旧の同サイズのトラスの並びが見られた。同径間の採用は、橋梁長がほぼ同じに加えて、流路確保から下流側の橋脚径間を狭くする訳には往かぬが広く取っても意味は無いゆえと思われる。

これにて、上り線の新瀬戸山トンネル出口抗口上部横から新第一木曽川橋梁を見下ろす、西線区間で定番となった立ち位置が出現していた。40年も前ゆえ記憶は定かでないが、線増工事関連のヤード跡地だったと思われ、多くの鉄道屋を集めたものだった。
新第一木曽川橋梁を渡るのは873列車。ドレインは写真機の放列を見つけた機関士のサーヴィスである。
このカットは、さらに背後の斜面を上った位置からと思う。
ここへは以来に立ってはいないのだが、電化後も誌上などに見かけた撮影は1980年頃を境に消えてしまう。おそらくは立入りの不能となったものだろう。最新の衛星写真に見れば、どうにも民家の敷地となっている様子である。

[Data] NikomatFTN+P-AutoNikkor135mm/F2.8 1/250sec@f4 NONfilter SakuraColor100 Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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