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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

豊後中川-天ケ瀬 (久大本線) 1986

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小学校の給食を懐古する風潮の在り、それのレシピを再現したカフェやらレストランの盛況と聞いて仰天したものだった。その体験には地域差や年代差の大きいとは理解しても、個人的には二度と出会いたく無い代物であり、懐古などとんでもないのである。
質の悪いとしか云い様の無いパサついたパンに、栄養価を満たせば良いだけで味付けは二の次だった副食、極めつけにはそれの種別を問わずに付された脱脂粉乳の組合せは思い出しくたくもない食事の筆頭と云える。午前中の三時限目ともなれば調理室から漂う複数の料理の入り交じったえも言われぬ匂いには悪夢の始まりを思ったものだった。
件の再現食堂の料理写真など覗けば、それがいつ頃のどの地域のレシピなのかは分からないけれど、自身の体験よりはマシと見えはするものの、アルマイトの食器に先割れスプーンは、やはり「餌」の域を出るものでは無く、「供食行為」とすれば実に礼を失したものだったと再確認する。
以来に、給食室からバケツに満々と運ばれて来たシチューの類いはどうしても苦手であり、食パンはどんな評判のベイカリーにせよトーストしないと食べられない。この年齢での体験とは後々まで尾を引くものとつくづくに思う。

南方の景観の多くを占める照葉樹や竹林の植生にどうにも馴染めないのも、子供時代にそれをほとんど見ていないからだろう。普段の景色として、また旅なら車窓にしている分には良いのだが、写真機のファインダ越しには違和感が募るのだ。先達諸兄の九州方面などの撮影を誌面に見ていて感じた居心地の悪さがそれと気がついたのは1974年に幾度かの山陰線往きでのことだった。海岸線は松林としても一歩内陸に入れば、そこは照葉樹の景観だったのである。
福岡に仮住いの頃、久大本線ばかりへと何度も通ったのは、そこに客車列車の残存していたことが最大の理由だけれども、ファンダに見る風光に覚えの在ったからにも違いない。

写真は第五玖珠川橋梁上の626列車、鳥栖行き。
山間の盆地である日田は近世から林業と木工産業に栄え、そこへと流れ下る玖珠川の流域も日田杉の産地だった。橋梁背後にもその美林が迫る。これは北で見慣れた光景だ。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S 1/500sec@f4 Fuji SC52 filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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コメント

Re: 脱脂粉乳

そうですかあ。あれは難儀でしたよね。
中学に上がり、センター給食とやらで、ようやくに同じく瓶の牛乳となりましたが、
今度はトレイに幾つかの凹みがつけられ、そこに食品の盛られるこれまた失礼な食器と相成りました。
先割れスプーンですら、金属から樹脂製となる始末。
学校給食ってのには、ろくな思い出がありません。

  • 2014/10/06(月) 15:33:39 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

脱脂粉乳

小学校中学年までこいつには悩まされました。
小学校4年生で東京の小学校に転校した
とたん、こいつが消えていて、
「さすがは首都だわい」と感心したことを
覚えています。ちなみに、まずは牛乳瓶、
そしてテトラパックに変わっていきました。
鉄道のコメントでなくてスミマセン・・・。

  • 2014/10/05(日) 17:44:44 |
  • URL |
  • マイオ #pcU4xDNY
  • [ 編集 ]

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