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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

渚 (高山本線) 1997

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下呂から久々野へと抜ける山間に位置する渚集落と、その外れに開かれた信号場のような小駅、渚の駅名由来にかかわるWikipediaの記述には噴飯する。
上呂から位山峠を越えて無数河に下っていた飛騨官道(*1)に替えて、16世紀末より飛騨領主だった金森長近が開削を進めた此処での益田街道は「小坂通り」と呼ばれ、その峻険な地形から確かに益田川を左岸から右岸への遷移を要したとも思われるが、現在よりも遥かに水量の多かったはずの急流に小舟の「渡し」の在ろうはずも無く、それは簡素なロープウェイとも云えた「籠渡し」だったろう(*2)。「遠い海に思いを馳せる」とは涙モノの話しである。
ここでの「ナギ」とは、栃木県日光男体山の大薙に新薙、古薙、長野県伊奈谷の白薙、青薙、黒薙などに例が在る崩落地名と考えるのが自然に思える。「サル」地名や「ヌケ」地名と同じく崖崩れや地滑りを多々生じていた土地に付された古の名であり、有り様を示す「サ」(「然」だろう)を付したものと思う。「渚」は後年の当て字に過ぎない。
その当て字が余りにも嵌っているので気がつかないけれど、長野県木曽谷の南木曽(なぎそ)も同様事例と思われる。1961年の3個村の合併による町制施行時に町名を、東にそびえる南木曽岳に採って南木曽町としたものだが、その山名自体、古には奈岐蘇の字が当てられた「なぎ」地名であり、一帯は「蛇抜け」と呼ばれた土石流の多発地帯である。
実は、長野県のアルピコ交通(旧松本電鉄)上高地線にも渚駅が在り、所在地も松本市渚である。ただし、松本盆地内の幾つもの河川の合流地点に、これは波打ち際としての渚(もしくは汀)そのものであろう。
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(*1) 律令時代の都と各地の国府との連絡道である。近年の研究者による命名で、当時よりその名称の在ったでは無い。
(*2) ここには「片籠」の地名も残る。

久々野町の渚集落は、渓谷を刻んで曲流する益田川へと落込む斜面を横切る益田街道に沿って疎らに民家が続いていた。どれも百姓家として見れば小規模なのは、やはり土地の狭いからだろう。飛騨地域に特徴的な露出した柱や梁に漆喰ないし土壁の外壁、欧米に云うハーフティンバ様式の切妻家屋がここに見られないのは些か不可解ではあった。
高山本線は平地の無い集落内に停車場を設けることが出来ずに、それは1キロばかりを進んだ片籠集落の対岸位置とされた。当時に周辺に人家の無く信号場然としていた所以である。
1968年10月に国道41号線、益田街道の新道が開通するまでの阿多粕からの道は高山線の下部を益田川に沿って進み、第17益田川橋梁の直下で渚側に渡っていたから、古の「籠渡し」もその辺りに所在したものと思う。
新道は集落背後の棚田の斜面を高度を上げてバイパスし、そこからは集落や駅を見下ろせた。

春紅葉を背に20パーミルを上るのは、4711D急行<たかやま>。
1990年度末に、普通車の腰掛をR51型に換装するなど接客設備を改善したキハ58系列6000番台の7両が向日町運転所に配備の上で専用されていた。既に観光客だけだった旅客サーヴィスには適切な措置ではあったが、この外部塗色と車体に不釣合いな大型トレインマークは頂けなかった。

[Data] NikonF5+AiAFNikkor ED180mm/F2.8D 1/500sec@f4 C-PL filter Ektachrome Professional E100SW [ISO160/0.5EVpush] Edit by PhotoshopLR5 on Mac.


前回の高山本線記事の記述に気分を害された方も在るといけないので捕捉させていただく。

飛騨小坂-渚間には第12から第17の益田川橋梁が架かる。
飛騨小坂近隣の第12橋梁には適当な足場が無い。町道(国道41号線の旧道)からでは家並みの入り込む上に手前にケーブルも架かり様にならない。中部電力小坂発電所の落下水路管上部にでも上れれば良いが、当然に立入り禁止であろう。
第13橋梁は国道41号線新道の無数原大橋から見下ろせるようになった。但し、通信線柱の位置が良く無い。無数原集落からの橋からは些か近過ぎに思える。
第14橋梁のついては記事に記した通りである。
第15橋梁も同様。けれど、橋梁の左岸側から斜面を上る細道があり、その上からは対岸崖下の線路を望める。かつて防災施設を解説した鉄道図書にも登場した景観ではある。これなら柏原大橋を画角から外せる。
第16橋梁には、どうにも適切な足場の見つからずに撮っていない。併行して送電線も走る。
第17橋梁は、ほぼ横方向に国道から望めるけれど通信線柱の位置が今ひとつに思える。渚バス停あたりから直線方向を見下ろす画角も橋梁を囲む樹木の成長してしまい、今では些かウルサイのである。川沿いの集落から見上げる手もあるだろうが、背後に国道の入り込んでしまうだろうから試してはいない。

結局のところ、この区間でのメインは第14と第15に尽きたのである。それの撮れないとなれば松尾集落まで足を伸ばす価値の無いのだった。
とは云え、ここでは国道41号新道からの飛騨小坂駅俯瞰は健在。手前側の小坂小学校校庭の照明塔を回避するには国道沿いからでは無く、そこの階段を昇り擁壁上に移動する。但し、高さも在る上幅も狭いのでかなり危険。

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  • 2016/02/14(日) 17:13:31 |
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