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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

手ノ子 (米坂線) 1971

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飯豊町の手ノ子は標高の260メートルばかりを上がるのだけれど、広い白川の川底平野に里の景観だった。駅からの道は、辛うじて集落内は舗装されていた小国街道(国道113号線)を越え、川辺ヘ向けて緩やかに傾斜して往き、両側には樹木を背景に雪囲いをした民家が続いて雪国の風情を見せていたと記憶する。北の育ちにはそれの無い東京を物足りなくも思っていたから、長い蒸機列車の合間には懐かしくも眺めたのだった。この頃、内地に転居して知り合った人々の多くがこのような里の風景を寒々と感ずるらしいことを知り、実は衝撃を覚えていた。北国育ちは、それにストーヴの焚かれた室内での温々とした冬の暮らしを思うのである。

長井盆地に特徴的な屋敷林を伴った散居村の景観は川底平野にも続いて、川岸から振り返れば、まとまった集落をなしていた手ノ子も民家と集落の屋敷林が混交した美しい姿と記憶している。最近の衛星写真に見れば集落は一回りも二回りも小さくなった印象である。そこの家屋構造の変化や農業を取巻く環境の変化は屋敷林を不要とするに至り、住民の高齢化も加わって手を入れられなくなった例も多いと聞く。久しく通過すらしていない手ノ子はどう姿を変えたものだろうか。

このブームと呼ばれた蒸機運転末期の手ノ子駅の様子は、以前の記事 手ノ子 (米坂線) 1971 に書いた。
この日も、米沢発の一番列車からは多くの撮影者が下車してごった返す待合室には、些か嫌気の差して峠を避けて反対方向の羽前椿方に歩いたのだった。県道の中郷橋あたりまで戻ると掘割状の切取り区間の在ることを思い出したからである。案の定、他に撮影者の見当たらずに風景を広く取り入れられた。
朝の斜光線に、思いがけず9634を本務に重連でやって来たのは123列車、坂町行き。客車組成に増結は無かったから次位機は上りに関わる送込仕業であったろう。緩い勾配にはブラスト高らかに駆け抜けて往った。

[Data] NikonF PhotomicFTN+P-AutoNikkor50mm/F2 1/250sec@f5.6 Y48 filter NeopanSSS Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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