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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

飯井 (山陰本線) 1974

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築堤に土盛の乗降場を付しただけの飯井に降りれば、小さな集落越しに入江の青が見えた。これが北の羽越線や信越線なら海辺の寒村と呼んでしまいそうだが、石州瓦の明るい色彩がそれを躊躇わせた。北国育ちの僻見かも知れぬが、どうにも南の風景は豊かに見えてしまう。
1980年代半ばに福岡に仮住まいした時、九州一円を旅して歴史的にも北方との社会財の蓄積の相違を感じたものだった。なにより、酒の肴を探しに長浜の市場を訪ねれば、その種類と水揚げの豊富さに驚き、思わず北の海と比べていた。駅や街中のスタンドの「そば」でなく「うどん」も意味有りげに思えたものである。

小さな入江に面し、背後に山塊の迫る飯井地区も斜面には蜜柑畑の開かれていたものの、耕地は僅かばかりにかかわらず、どの農家も広い敷地にどっしりとした住居を構え、件の石州瓦を載せていた。半農半漁、決して専業とも云い難いのだろうが、ついつい単位収量とか出荷の市場価格など考えてしまうのも十分に僻目に違いない。
ここは、萩市と大津郡三隅町の境界でもあった。入江に注ぐ水無浴の谷を分界と定めたゆえのことである。水無浴の水流に立地した集落は、それで行政区域が二分されていたのである。地元の人々も、古くは旧三見村域であった東側を三見飯井、西側を三隅飯井と区別していたようだが、もとより一体の生活圏である。
この分界は阿武郡と大津郡との郡界でもあったから、定められたのはかなりの古に属しよう。それぞれの中心域からは山塊と海に隔絶されたこの地の人々は、そのような「外界の勝手」など意に介さずに暮らして来たものと思う。

駅から、ほんの2・3分で集落を通り過ぎ入江に立てば、ここの風情がすっかりと気に入ってしまい一日を過ごすことに決めていた。
水無浴河口に築かれた石積みの導流堤が珍しく、レンズを向けておいたのだが、やがて現れた2人組の女の子は撮影者にカメラの存在など気にするでなく砂遊びに興じるのだった。
丁度やって来た列車は804D<さんべ1号>。この熊本-鳥取間を12時間かけて走っていた急行は、下関で編成の一部を分割、山陽線・美祢線と運転したそれを、長門市で再び併結していた。離婚・再婚列車とは、古い鉄道屋なら覚えておいでと思う。

[Data] NikonF2A+AutoNikkor105mm/F2.5 1/500sec@f5.6 Y48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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