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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

飛驒小坂-渚 (高山本線) 1997

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だいぶ前に北海道編の記事 豊浦 (室蘭本線) 1993 でも触れたが、撮影地点の様相は時間経過で変化する。植生の成長にともなう視界の遮断が大半だけれど、人為的な事由も数多あり、こと高山線に限ればそればかりに思える。
ここでは、知る限りの1980年代以降に併行する国道41号線や360号線の改良工事が断続的に進められ、それにて幾つかの位置が失われて往った。大半が鉄道橋梁に並列しての国道橋の架橋ゆえであり、これは飛騨川や宮川の流路をトレイスし屈曲していた国道が直線的に改良された結果、鉄道の線形に近づいたと云うことなのだろう。すぐに思いつくだけでも、第二飛騨川、第五益田川、第18益田川、第一・第二宮川の各橋梁で、かつての画角では撮れなくなっている。そして、この飛騨小坂-渚間に所在の第14に第15の益田川橋梁である。

1980年代末に基礎工事に着手、1994年に完成した小坂久々野バイパスの門坂(かどさか)改良では、第14益田川橋梁飛騨川対岸の林道からの俯瞰画角に鉄道西側に並行して架橋の門坂大橋が写り込むことになり、撮れないでは無いが、もはやその価値も無くなった。東側の旧国道に回り込んでも背景にそれが邪魔をした。
2009年からは阿多粕(あたがす)改良工事の始められ第15益田川橋梁にも柏原(がいばら)大橋が並行することになってしまった。これの渓谷での橋脚基礎工事は2007年には着手されていて、松尾集落近くからの遠望でも搬入の重機が画角に動いたのだが、完成した今では橋の本体が写り込む。これとて撮れなくは無いけれど興醒めではある。
勿論、河床から高さの在る無数原(むすばら)大橋から第13益田川を見下ろせるようになる等、新たな画角も出現したものの、この区間は撮影地として終焉と云うのが正直なところだ。

写真は、飛騨川へ落込む断崖下を第15益田川橋梁へ向かう1034D<ひだ14号>。松尾側からの後追いである。
この日、橋梁の向こう側の河床には何やらのヤグラの建てられていた。柏原大橋着工の10年も前のそれは事前の地質調査だったのだろうか。画角の邪魔物の排除には夕刻を待ってアンダに振るしかない。
ここでの撮影に列車と徒歩の鉄道屋としては、飛騨小坂の駅から無数原あたりまでなら歩いていたけれど、この松尾までの凡そ5キロを1時間の行程にはその気になれず、濃飛バスが運行の下呂高山線を利用していた。平日に10本程の運行は、まあまあ使えたのである。この路線の困ったところは、停留所の標識が高山方面側にしか設置されないことだった。初めての停留所から下呂方面に乗るに、高山行きの真向かいとは限らない停車位置が分からずに難儀した。

[Data] NikonF4s+AiNikkor 85mm/F1.8S 1/500sec@f5.6 NONfilter PKR Edit by PhotoshopCC with LR5 on Mac.

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