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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

女川 (石巻線) 1972

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1980年7月31日まで石巻線には女川を起点に女川港まで1.4キロの貨物支線が存在していた。通称の女川臨港線である。
1954年に『港湾法』に基づく地方港湾に指定され、設置・管理者の宮城県が、1957年までに石浜地区へ水深7.5メートルの商業岸壁に物揚場を完成し、合わせて既存の漁港地区でも物揚場の整備や魚市場の設置を進めた女川港での、その事業と一体の海陸接続線として建設を請願し、建設費全額の同県負担と女川駅貨物扱いの女川港駅移転を条件に国鉄が工事を受託した線路であった。
商業港としては近隣に後に重要港湾に指定される石巻港が所在し、そこでの工業港計画も進めていた宮城県が、女川にも商業岸壁を築造したのは、当時の港湾法下にあっては漁港としてよりも商業港としての整備が国庫補助の容易だった制度による。同県の本音も金華山漁場の活況に水揚げの堅調な漁業基地整備に比重のあったと思われる。
1958年8月11日に開業した女川港駅と臨港線は、港から女川駅までの小運送の省略により鮮魚の鮮度保持に大きく寄与した。

女川港駅に駅長は配されず女川駅の管理駅とされた。女川が頭端駅構造のため構内での分岐線形ではあったが、営業上には延長として扱われ小牛田起点46.3キロの営業キロ程が与えられていた。
運転上からも女川駅の構内扱いであり、女川の場内信号機は旅客乗降場への2線と臨港線への3基が同位置に建植され、女川港着発列車は本線列車として運転された。
連査閉塞施行のこの頃、午前と午後の2往復の着発に運転掛に構内掛の常駐したものかは覚えていない。連査閉塞には閉塞器の操作だけで本線に進出出来たけれど、通票閉塞の当時にはどのような扱いを行っていたものか興味は尽きない。機関車の転向のため構内運転で女川に戻った際に通票を授受していたと推定するのだが、確証は無い。

女川1番線に停まるのは829Dから折返となる832Dの小牛田行き。キハ17+キハ10+キハ16の組成はバス窓車の編成美であろうか。でも、便所が編成に一箇所しかないことになる。
手前に続くのが臨港線の線路である。旅客施設との位置関係がお判りいただけると思う。撮影位置左手に駅本屋が在り、線路は駅前広場の北側をかすめて石浜方向へ延びていた。

[Data] NikonF PhotomicFTN+P-AutoNikkor5cm/F2 1/125sec@f8 Y48filter NeopanSSS Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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コメント

Re: タイトルなし

こんばんは。
度々のコメントありがとうございます。

このカット撮影位置の直ぐ後側には踏切がありまして、その道が過日の災禍の際の丘陵上への避難路でした。
この当時より拡幅されていたのが動画にも確認出来ましたけど。
新駅の位置がどのあたりになるのか分かりませんが、興味は仙石線復旧と建設中の東北線接続線の完成に伴い運転予定の「仙石東北ライン」のハイブリッド気動車がそこまでやって来るか、です。
女川町民には、過去実現することの無かった仙台との直通列車は悲願でもあります。

  • 2014/09/26(金) 00:03:12 |
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こんにちは。
キハ17、想像以上に乗りづらい車両だったようですね。むしろ、後ろの人が気になって車窓どころではない、といった感覚でしょうか。
ご記載の通り、女川駅はホームから階段を降りて改札に向かうスタイルでした。駅前広場からまっすぐ、ほんの僅かな傾斜はあるかもしれませんが、海まで歩いてすぐでした。
震災後の復旧に際し、駅は内陸側に移転すると聞いています。駅から古い気動車が消え、貨物線がなくなり、次にこの駅に立つときには、駅そのものが新しい別のものになっていることでしょう。
いつか再訪したいですし、そのときには、こちらのお写真、自分の近年の写真、新しい駅で改めてゆっくり見ながら過ごしたいと思っています。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

  • 2014/09/24(水) 11:54:20 |
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  • 風旅記 #O7xVy9HA
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Re: タイトルなし

こんばんは、風旅記さん。

頭端式の駅ですが、乗降場は同じ平面で改札に続くで無く、島式のそれを階段で降りる形式だったと記憶します。
駅前広場から目の前の船着場へはレヴェルだったように思います。
キハ17系列の気動車は軽量化からクロスシートの背ズリ高さが削られていたのです。
ですから、それに深く寄りかかると背中合わせの人と後頭部同士がぶつかったりして、結構とんでもないクルマでしたよ。
縦型機関は油臭が車内に充満していたものです。

  • 2014/09/24(水) 01:10:07 |
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  • Wonder+Graphics #-
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こんばんは。
貨物線はこのような形で分かれていたのですね。数年前にこの駅を訪れたときの記憶が正しければ、ホームと駅前広場は高低差があったかと思いますので、港近くまで坂を下るように線路が続いていたのでしょうか。
古い気動車なら万石浦の景色を見れば、旅情高まったのではないでしょうか。乗り心地は今とは比べものにならないでしょうが、それに代わる良さがあったのではないかと思います。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

  • 2014/09/22(月) 21:15:08 |
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  • 風旅記 #O7xVy9HA
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