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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

甲斐常葉 (身延線) 1997

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2004年以降には身延町常葉と云われても、どうにも落ち着かないのだが、かつての富里村を構成した巨摩郡11村のひとつ常盤村であり、それの町制施行にて下部町と改められてからも役場の所在した中心集落だったのが常葉地区である。然したる集落規模ではないものの、古の駿州往還の脇道である東河内路沿いに発達したゆえか古い街並も残り趣を感じさせる。そこでの古びた酒屋(酒販店)でのことは以前に書いた。
ここに身延から延伸の富士身延鉄道が達して甲斐常葉停車場の開かれたのは1927年12月17日であり、それは3ヶ月あまり後の翌年3月30日に省線の甲府に接続した。

山梨県はそれを待ち兼ねたかのように、県有林からの木材の搬出にこれを利用すべく、沿線に幾つかの林用軌道を建設した。山梨県域に国有林はほとんど存在せず、山林の大半は県有林だったため、ここでの林用軌道は農林省山林局に非ずして県の所管する県営軌道だったのである。鉄道屋でもその方面は門外漢にて全貌を知り得るではないが、最盛期にその総延長は300キロを超えていたと云うから、山間部の多くの地域に敷設されたものであろう。
この甲斐常葉にも栃代川(とじろがわ)沿いに杉山羽前場(はまえば)までの10.159キロに軌間762ミリの富里軌道が1928年3月に接続していた。動力はおそらく畜力(牛)と思われる。その運用終了を調べ得てはいないが、1960年代半ばには軌道の撤去され、林道(自動車通行路)への転換が進められていたと云う。ただし、数少ない情報をWebに拾えば、今も山間部には多くの遺構が残されている様子である。
甲斐常葉の現在にも残る上下別に副本線を持つ配線は貨物列車の着発に入換に対応したものであろうし、不釣り合いに広い駅前広場は、そこが林用軌道起点の土場を転用したゆえだろう。そこでの貨物積卸線の有効長も長かったことが伺える。

草薮と化している旧土場の奥を越えて杉の木トンネル近くに立つと緩くS字状に曲線を描く構内を見通せる。そのような形状の構内は珍しくは無いのかも知れないが、余り低規格のルーラル鉄道を撮っていないファインダには新鮮だ。試してみるのは一つしか無い。カメラ位置を成る丈低くして後追いのテイルランプを待つのである。ここは背景の斜面に人家や工場が散在して、それの暗黒に落ちないのが少しばかり惜しい。
速度を落として通過して往く光跡は4009M<ふじかわ9号>である。

[Data] NikonF4s+AiAFNikkor ED180mm/F2.8D Bulb@f16 Fuji CC35M+06B filters Ektachrome DynaEX [ISO160/0.5EVpush] Edit by PhotoshopCC & LR5 on Mac.

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