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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

陣場-津軽湯の沢 (奥羽本線) 1969

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時事ネタになってしまうが、日景温泉の2014年8月末日での廃業表明には些か衝撃を受けている。twitterでも発信された女将自らの声明によれば、宿泊客の減少よりも腐食性泉質に起因する設備更新と維持の困難が事由とされていた。かなり早い時期から経営撤退を意図し、改修をも可能とする売却先を探っていた様子なのだが、それの見つからずに諦めの決断と読める。2012年の湯の沢温泉最後の秋元温泉廃業の記憶も新しいだけに尚更の想いが強く、これで峠の山中にひっそりと点在した湯治宿は矢立温泉赤湯を残すのみとなる。
若くして亡くなった大館出身の友人が、その病の正体すら明らかにならぬ頃、症状のせめてもの改善の泉地療養に農家のじ様ば様に囲まれて長期滞在した宿であり、その思い出とも云える記憶と共に山間の湯治場の佇まいが気に入ってしまい、その後にも幾度か訪ねた温泉場でもあった。近年には人手の関係で早朝の送迎が無くなったものだから、矢立泊まりと云えば国道沿いの矢立ハイツばかりだった身としては複雑な思いもある。
開業以来120年を親しんだ大館市民の間では市による買収と経営継続を求める署名運動が展開されると云うが、例え行政の動いたにせよ、あの鄙びた風情の維持は期待出来ないようにも思える。

1981年の夏の終わりと記憶するが、大館に病に伏せる前の彼女を訪ね、その運転で矢立旧線の痕跡を探訪したことがある。1969年の秋に札幌から向かった矢立峠の旧線は、その凄まじい蒸機の咆哮と共に深く脳裏に刻まれたものの、一年後には新線へと切替えられ再訪には時期を逸していたから、ほぼ10年を経てそれの叶ったことにはなった。現在でも多くの遺構の残る区間ではあるが、当時なら一部の橋梁を除けば路盤の多くが廃線時そのままに残存しており、特に旧羽州街道が併行していた第六から第四の矢立隧道が続いた峠の核心区間には往時の光景そのままに、かつての立ち位置から望むそれには感慨を深くしたものだった。

写真は、第五矢立隧道を抜けて第四隧道に向かう853列車。大館からの後機に加え、陣場で後々機を付けた機関車三台運転の950t列車である。
記憶の定かで無いのだが、第四隧道の入口抗口上の旧道からの撮影と思う。それは、津軽藩主の大名行列が峠を越えた古道には非ず、1877年に開かれた所謂「明治新道」ながら杉木立を縫う趣の峠道だった。

[Data] NikomatFTN+AutoNikkor5cm/F2 1/250sec@f4 Y48filter NeopanSS Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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