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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

折原-寄居 (八高線) 1996

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幅の狭い乗降場にブロックを積み上げた小さな待合所のあるだけの棒線駅、折原に降りて、線路沿いに荒川の河岸段丘崖上へと至る田舎道を辿って往くと、両側には民家を散在させながら一面の桑畑が広がる。それは云うまでも無く、この一帯が養蚕地帯であることを意味する。
古来よりの養蚕は、特に近代以降には土地の少ない中山間地の農村にとって現金収入に直結した重要産業であり、北海道を含めた全国の至る所で行われ、かつての地形図には桑畑に独自の記号が付与されていた程である。父方の祖母の出身地である茨城県那珂郡山方村(町を経て現在は常陸大宮市の一部)を訪ねた折、大叔父宅の蚕部屋で桑を食むその大群には子供心に腰の引けた覚えもある。
近年に絹製品は中国本土やインド、ブラジルなどからの廉価な輸入品や代替製品が出回り、国内産業は衰退したものだから、葉のすっかり刈り取られて背の低い幹だけが林立する、一種異様とも見える桑畑の光景は久し振りに目にしたのだった。
調べてみれば、埼玉県はなかなかの養蚕県である。2003年度の資料には70.9トンの繭生産高と在り、群馬県の343.7トンにはとても及ばないけれど、それは全国生産の9.1パーセントを占める。生産の中心は秩父地方であり、寄居町には30戸の生産農家が所在して9.3トンの繭を出荷と記されていた。寄居町北側の児玉郡美里町も16戸が7.6トンを出荷していて、確かに八高線の北部では桑畑を随分と見かけた。
なお、1996年を最後に県内の製糸工場が操業を停止したため、以降には繭は山形県酒田市の松岡製糸場に送られていると云う。

秩父鉄道大野原からの積車を寄居で継送した上り列車は、荒川橋梁を渡ると河畔の下郷地区内を築堤で高度を上げながら河岸段丘崖への登坂に取り付き、それを横切って段丘上の折原へと向かう。ここには18.8パーミルが介在して換算45車(450t)を越える列車には重連仕業の組まれる所以となっていた。それは積車セメント車なら現車で8両を越える組成となる。
河岸段丘崖上には埼玉県の農業研修施設が建てられ、その敷地縁からは線路を見下ろせた。けれど、そこには踏切(和田踏切61K864M)とその前後に柵が設けられていて画角から排除するのに工夫を要する位置でもあった。
写真は夕暮れにこの坂を上っていた5268列車、八王子行き。
そこで先に5264列車で到着していた編成と併結、5471列車となって信越本線線川中島の秩父セメントデポに向かっていた。

[Data] NikonF4s+AiAFNikkor ED180mm/F2.8D 1/250sec@f4+1/2 NON filter Ektachrome Dyna100EX(EB+2) [ISO160/0.5EVpush] Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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