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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

撫牛子 (奥羽本線) 1980

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ないじょうし。難読駅名である。
ここは、1935年4月15日に弘前近郊のガソリンカー駅として開業している。

この頃、鉄道省は、一定の性能を得て標準化に成功したガソリン気動車を用いて、地方都市近郊区間にて頻発運転による旅客誘発施策を進めていた。弘前近郊がどのような経緯でその対象とされたものか調べてはいないが、ここは第八師団が置かれた軍都として発展し、当時県都青森を凌ぐ都市であった。

この日、大鰐-川部間に撫牛子ほか6駅を開業してキハ41000形による近郊区間運転が開始されている。既存駅の長い駅間を埋めたこれらが「カソリンカー駅」と通称された停車場である。駅と云っても、単線の本線上に有効長25ないし35メートルの乗降台を設備したのみで、当然に閉塞の扱いの無い要員無配置駅であった。
この画期的とも云える運転も、アジア太平洋戦争の進展にともなう燃料の使用規制により、1940年10月末日を以て取り止められ、ガソリンカー駅も廃止されてしまう。
この際に撫牛子だけは廃止を免れ生き延びる。そればかりか、列車交換設備が置かれ駅本屋も建てられて要員も配置されたのであった。これは、戦時の輸送力増強により弘前-川部間6.3キロにその設備が求められたゆえで在り、同時期に各地に設置されて行った信号場と事由を一にしている。
戦後の同区間の複線化により、それを廃して再び棒線駅となり現在に至る。

写真は、第一平川橋梁上の4002列車<日本海2号>。
撫牛子の下り方に在るこの橋梁は、243Mの延長を持ち津軽平野の鉄道橋としては最長である。氾濫原が大きく流路は川部側に寄る。その堤防に立てば、農業用水路の末端と思われる水門が置かれていた。需要期にはこれを締切って水位を上げ、水田への導水を容易にするものであろうか。
水門と云い、トラス橋と云い、直線構成の人工物となら何処か馴染みがいい。河原にはありふれた光景だ。

[Data] NikonF3HP+AiNikkor28mm/F2.8S 1/500sec@f8 Y48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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