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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

落居 (身延線) 1996

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甲斐岩間からの線路は富士川支流の山田川を遡り落居の先に割石隧道を穿って、同じく富士川へと注ぐ新川の谷に出る。この割石峠越えは古の駿州往還に、1680年代(天和年間)に富士川右岸へそれの遷移してからは東河内路と呼ばれた街道上に位置した峠である。戦乱の16世紀には大門から岩間へは帯那峠越えであった経路を、富士川の水運の開かれて西寄りに付替られて以来とされる。
これにて、筏士などの帰路にはあまりの迂回となり、しかも標高650メートルまで上った人馬の難所は解消したけれど、最高所の400メートル程に下がりこそすれ同じく峠越え選ばざるを得なかったのは、笛吹川と釜無川が合流し富士川と名を変えて甲府盆地を流れ出る水流が鰍沢から狭い峡谷を曲流するゆえであろう。
その開削は頂上付近で岩を割っての難工事と伝えられ、割石峠の名の由来となっている。近代に至り、1911年にその峠道直下に開通した県道の割石隧道も開削に12年の歳月を要したとある。

1927年12月17日に身延から市川大門を開通した富士身延鉄道も、波高島から下部、常葉集落に立ち寄るための迂回を勝坂隧道(かんざかと読む-現下部トンネル)の掘削までして富士川流域に戻りながら、再度の峠越えは古くからの街道沿いに集落の発達したのに加え、やはり岩間からの富士川の険しい地形を避けたものだろう。割石峠も延長840メートルの割石隧道にて難なく通過している。

前記の県道が旧道と化して上部を巻いているのを五万分の一地形図に確認の上で、車窓にロケハンして現地を歩いては見たものの、ここの線路は峠道にはほど遠い、あっさりとした線形や沿線風景には些か拍子抜けしたものだった。それでも落居から峠まで比高100メートルの機材を背負っての急坂に、徒歩交通時代の難所の片鱗を感じたものである。
列車は4001M<ふじかわ1号>。
旧道割石隧道の南側で分岐して神有集落に至る道から、なんとか峠道らしい画角を探し出した。線路が並行する新道から離れるのは、この区間くらいしか無い。

[Data] NikonF4s+AFNikkorED180mm/F2.8D  1/125sec.@f4+1/2   C-PL filter   PRP  Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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