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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

菊川 (東海道本線) 1997

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静岡県は酒呑みには垂涎の酒造地域と知られる。1980年代半ばに劇的に酒質が向上して以来のことで、当時に静岡県の工業試験場醸造課での研究開発にて産み出された多様な「静岡酵母」によるところが大きい。林檎様、梨様、マスカット様などの香りを多成し、爽快な吞み口を実現した吟醸酒や純米酒が嗜好の変化していた酒呑みに注目されたのである。アルコール度数15度換算での年間出荷量が1000石に満たぬ小蔵の大半ながら、かつてに地元、旧志太郡大井川町を中心に存在していた酒造集団志太杜氏もいなくなり、南部に山内、越後、能登と各地から杜氏を呼び寄せるか、或は蔵元自らが醸造を手がけざるを得ない中での酒造りの姿勢や、この酵母を得ての戦略も見逃せない。

東海道本線の菊川詣では、駅から至近に在る蔵元、森本酒造の醸す「小夜衣」が目的半分と白状しておく。それは生産量から、地元を中心に県下を出ることの無い酒なのである。80年代の終わり頃だったか、浜松出身の知り合いから土産に貰った五百万石を50パーセントに磨いた吟醸酒の、ほのかに立ち上がる吟醸香に緻密なキレの味には驚き、モノクロのコピィ出力を手切り・手貼りしたボトルのラベルも少量生産を伺わせて、大変な酒に巡り合ったとの思いを持ったものだった。しかも、呑み仲間の間では、焼津の「磯自慢」や大東町の「開運」など静岡酒は話題になってはいたけれど、これは全くにノーマークであった。
酒は買いに出向くものとの信条を頑なにしていた頃で、新幹線に掛川の開業していたものの、そのためだけの往復にも気が引けていたゆえ、撮影を肴に滅多に撮ることのなかった電化幹線との抱き合わせを思いついたのである。

金谷から菊川の牧ノ原台地越えは、かつてには閉塞区分の友田信号場(所)が置かれ、補機を要した大幹線の難所であり、下倉沢集落の菊川沿い東京起点218キロ付近の曲線区間が古から撮影地に知られていた。先輩諸氏の時代に比すれば集落の大きくなり住宅の建て込んで、それのフレイムアウトするポジション選定には些か苦労する。
西日の斜光線を旋回するのは1062列車。
この後を追って来るEF65PFの牽く776列車までをここで過ごしてから、森本酒造に立寄り酒を仕入れるのを定番にしていた。帰りは急ぐでなければ静岡に出て、そこを始発の<ながら>編成送込みの366Mである。その横浜まで2時間余りで、取り敢えずの四合瓶一本は空いたものだった。

[Data] NikonF3P+AiNikkorED300mm/F2.8S 1/250sec@f5.6+1/2 C-PL+Fuji CC10M filter PKR [1EV push] Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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