FC2ブログ

70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

鹿又 (石巻線) 1973

kanomata_02-Edit.jpg

この1973年の撮影メモには、道内や奥羽地域へ上野を仙台行き夜行の<まつしま6号>で発った記録が目につく。いつもの盛岡夜行<いわて3号>でないのは、それを小牛田で捨てる陸羽東線ではなく石巻線に向かったことを意味する。仙台へ<いわて>に数分を先行する<まつしま>からなら仙石線の始発に間に合い、さらに石巻線上りへと乗継げば朝の下り貨物を余裕で捉えられたからである。加えて、この年には翌年春に予定された無煙化に向けて、どちらかと云えば陸東線側に鉄道屋が集中し始めており、それを少しでも避けたものと思う。なので石巻線の撮影カットは、この年のものが多い。

この線区は小牛田から東へ大崎平野を淡々と辿るばかりで、多少の変化を与えていたのは短い鳥谷坂の隧道くらいである。要は田園風景を画角とせざるを得ないのだが、佳景山で線路の麓を巡る丘陵(欠山の低い尾根)が足場になるとは云え、それが唯一でもあった。多少なりとも高い視点の得られる跨線道路橋も、この当時には小牛田-石巻間に三箇所を数えるのみで、平坦な地形には稀少位置ゆえ取り敢えず全てには立っていた。
写真はその内のひとつ、国道45号線の鹿の又跨線橋から見通した画角である。R=200からR=300の急曲線の先、画角奥に鹿又駅がある。線路が跨線橋交差位置にむけて築堤を上るように見えるけれど、ここの勾配は1.5パーミルしかない。実際には左の水田だけが窪地のように低くなっているのである。
列車は午後の871列車、石巻港行き。午前中を欠山の斜面で過ごしてここまで歩いたと当日のメモに読める。

何度か乗り降りした鹿又については、小牛田-石巻間に三駅のみの要員配置の閉塞扱駅だったのだけれど、あまり記憶にない。ただ、駅後側の県立河南高校(現石巻北高校)への通学駅でやたらと学生服姿の目についたのは印象に残っている。

[Data] NikonF photomicFTN+AutoNikkor50mm/F2 1/250sec@f8 Y48 filter Tri-X(ISO400) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

関連記事

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://monochromeyears.blog.fc2.com/tb.php/191-9a564c67
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)