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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

面白山仮乗降場 (仙山線) 1978

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この仙台・山形間鉄道は、国土骨格を形成する鉄道路線を定めた1892年の鉄道敷設法(1892年6月21日法律第4号)で既に法定された重要路線であった。1888年に創設の陸軍第二師団の所在した仙台への鉄道の接続は喫緊の要請だったのである。1926年に至っての仙台-愛子間からの着工は、両都市間に位置する奥羽山脈の別けても峻険な地形への長大隧道建設にかかわる技術に、それの通過に不可欠の電気運転についても目処の着いてのことである。1930年代前半には清水、丹那隧道が相次いで開通し、5361メートルで当時に両隧道に次ぐ延長となった仙山隧道も1936年12月8日に完成し、これを含む作並-山寺間の1937年11月10日の開通により仙山線が全通している。奥羽本線との接続地点決定の遅れの無ければ、清水隧道に先行した可能性もある。両都市間を最短距離で連絡する鉄道ではあったけれど、同区間に1/30勾配にR=250Mの急曲線の連続する有数の山岳線とならざるを得なかった。

仙山隧道は地質調査に規模は大きく無いけれど多くの断層帯を確認して、当初には難工事が予想され、また工期短縮の要請からも鉄道省の直轄工事方式が採られた。仙台方が1935年3月18日、山形方で同年6月28日(*1)に着手の導抗掘削は小断層での湧水に苦しんだものの、当時に最新の技術に新鋭の機械導入にて克服し、日進平均10.5メートルの新記録にて1936年9月8日に貫通、これを追った本導抗工事も1ヶ月最大200メートル、平均163メートル、1日最大9.6メートルと云う当時に驚異的な進捗度にて同年12月8日には完成(*2)を見たのだった。
この最終工事区間には仙台方抗口の3キロあまり手前に存在した緩斜面を利用して、ここに奥新川停車場が設けられたが、山形方は紅葉川の峡谷断崖に抗口が位置して山寺停車場まで1/30勾配の続くことから、スウィッチバック式を避けて抗口から600メートルの抗内に延長312メートル、幅8.6メートルの空間を得て停車場が置かれた。面白山信号場である。
ここを初めて通過したのは1964年と記憶するが、洞内側壁が横に掘込まれて白熱電球に照らし出された詰所が設けられ、立ち働く職員の姿が認められた。永いこと閉塞を扱う信号場本屋相当個所だったと思い込んでいたけれど、奥新川-山寺間には隧道内の特殊性から開通時より連動閉塞の採用されたと知れば、その扱いは抗口外の本屋にて可能だったはずであり、坑内の詰所は何故だったのだろうか。70年代始め頃でも車窓に灯りを確認した覚えが在る。
上越線の清水隧道内茂倉信号場もそうだけれど、鉄道の輸送にはこんな山中のなお地底で働く職員達も居た。
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(*1) 山形方では1935年4月1日着手の横抗掘削が先行した。抗口より510メートル地点である横抗到達位置では5月17日より本導抗工事に着手していた
(*2) 信号場部分を除く

開業時と同時に山形方抗口に置かれた面白山仮乗降場は、その付近(工事用抗外施設の跡地である)に所在した官舎居住者の便を図っての設置であろう。公告されたものでは無かったが、当時より紅葉川渓谷の探勝者などの利用もあったことだろう。
33.3パーミル勾配上に位置して、この線に山形機関区による2往復の気動車(普通)列車運転の在った頃、抗口から洞内の5パーミルに緩むまで僅かとは云え、その発車シーンの凄まじかったことは書いておく。
トンネルの抗口に信号場の本屋。光跡を残すのは816M<仙山6号>の455系電車である。

[Data] NikonF2A+AiNikkor105mm/F2.5S Bulb@f5.6 NONfilter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.


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