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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

北小谷 (大糸線) 1987

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かつて全国各地に散在した杜氏集団の多くは集団とは呼べぬ程に人数を減らし、中には既に消滅したと思われる地域もある。
残念乍ら最新の資料は手元には無いのだが、2002年度の杜氏組合を資料に見れば、南部杜氏が300人を越えて突出している他は但馬杜氏、丹波杜氏、能登杜氏が続く程度である。越後杜氏組合の300人を越すけれど、これは県内の杜氏組合を一本化したゆえであり、野積・越路・刈羽・頸城・小千谷などの杜氏集団に往年の勢いは無い。広島地域や九州島内に至っては各地区で組合を維持出来なくなっての統合で、それでも50人を越えるに留まる。
これは、杜氏-現代で云えば酒造技能士一級保持者-の総数が激減している訳では無い。農村や山間地などからの杜氏に率いられた農民の一群による季節労働としての酒造が終焉を迎えているのである。
江戸期における寒造りの定着以来に、寒村の農民による酒蔵への出稼ぎは村の誇りとされていた。熟練した酒造技術者である杜氏に率いられた技能集団は「酒男」と呼ばれて、富を持ち帰る村の誇りだったのである。年少者のあこがれの姿であり、いつしかそれに加わることを念じても、杜氏の親戚や親が親しいでも無い限り参加出来ぬ集団でもあった。
しかしながら、農村の豊かとなる戦後となれば、凡そ半年を故郷と家族と離れての生活が嫌われ、酒造集団への志願者の減り、仕舞いには杜氏が育たなくなったのである。この季節労働による酒造形態はまもなくに絶滅するであろう。
替わっては、杜氏不足に対して蔵元自らが酒造技能資格を取得しての酒造、蔵人は地元からの通勤による通年雇用が一般化しつつある。酒蔵の在る地域の若者達にも人気の勤務先であるらしく、次世代の杜氏は彼らから生まれることになろう。

長野県北部、北安曇郡の小谷村も小谷杜氏を輩出して来た地域である。この山村もまた雪に閉ざされる冬の生業を必要とし、戦前の最盛期に酒蔵へは300人程が出掛けていたと云う。一つの技能集団は7・8人で構成されたから、この中での杜氏は40人前後、行き先の蔵もその数になろうか。当時に1400戸程の世帯数に、そこから働き手の一人が参集したとすれば、凡そ5戸に1戸は「酒男」を出していた計算になる。
先の資料に、既に小谷杜氏組合の名は見られず長野県杜氏組合に一本化されてしまっている。それから小谷村出身者を拾うと14人であった。酒蔵自体の減少を思えばそれほどに減っていない印象だけれど、その高齢化は着実に進んでいる。最早地元から蔵人は集められず、杜氏が単身で蔵に赴くのがほとんどと聞く。

急流の姫川が削り、大量の土砂を運んで埋めた谷は広く、その全てを河床と化す。この攻撃斜面にあたる築堤の区間は1995年7月の大氾濫にて流失の被害に遭っている。
列車は439D、糸魚川行き。

[Data] NikonF3P+AiNikkor50mm/F1.4S 1/250sec@f5.6 Fuji SC52filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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