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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

寄居 (八高線) 1996

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宗像神社と聞けば、やはり玄界灘に接する筑前の宗像大社を思い浮かべるが、この寄居の社もそれが総本社である。701年の創建と云うからかなり古い。古代からの交通路ながら暴れ川だった荒川の鎮めに、その分霊を勧請したのは道主貴(みちぬしのむち)たる水上交通の守護神ゆえのことだろう。
819年にこの地を訪れた弘法大師が荒川断崖の象ヶ鼻を霊地と見て聖天像を残すと、神仏混淆の時代にそれは象ヶ鼻を上宮、宗像神社を下宮に配祀した聖天宮として祀られ、以後には永くその名が残ることになった。けれど、その時代に在っても上宮を沖津宮、境内社の弁天社を中津宮、そして下宮を辺津宮としたのは宗像大社に擬えてのことだろう。ここが再び宗像神社と呼称されるのは、1868年の神仏分離令以降である。
いずれにせよ、秩父街道の宿場として、また鉢形城の城下町としても発達した寄居の鎮守で在り続け、現在に、本町/中町/栄町/武町/茅町/花町/宮本/常木/菅原の九つとされる氏子地域は寄居町の旧市街地にあたる。

現在に11月初めの秋季大祭では、本町/中町/栄町/武町が年番で設営する仮宮との渡御・環御に氏子町内からの7台の山車が牽き回される。江戸時代後期の製作であるらしいそれらも見事だけれど、その保管庫たる背の高い山車蔵の佇まいも年に一度の祭りの賑わいを秘めるようで好ましい。
社の鎮座する現在の藤田地区、古くは六供とも呼ばれた宮本町の山車蔵は神社に隣接して所在した。高山線からの帰り道に寄居へ初めて降り立って、荒川橋梁への道すがらにこの景観に出会うと、それの南北方向への架橋には祭りの秋の低い光線を想ったものだった。ここでの紅葉黄葉は大祭を過ぎた11月の中旬にやって来る。

山車蔵の在る風景。列車は5261列車。信越本線川中島に在った秩父セメントデポの専用線発5470を、八高線内定数の関係から八王子で5261と続行の5263に分割したセメントホッパ車の返空回送列車であった。財源が少なければ5263は運休となる。寄居へ7時前の到着は、この景観には理想的な光線と云えた。

[Data] NikonF4s+AFNikkorED180mm/F2.8D  1/125sec.@f4 NON filter Ektachrome Professional E100S [ISO200/1EVpush] Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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