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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

米沢機関区 (米坂線) 1971

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米坂線に入ると少なくても二日間は撮っていたので、米沢の「駅寝」を常宿にしていた。奥羽本線の夜行列車群は、福島-山形間にて上下離合のダイヤであったから、ここには23時過ぎの上り<出羽>から翌5時前の下り<出羽>まで6本の夜行急行が発着して、待合室に人影の絶えることは無かった。
線区上の主要駅らしく広いスペースのそこには、冬ならば二台の石炭ストーブが置かれたものの、広い分だけ深夜ともなると外壁から冷気の凍み入るのが感じられたのだった。勿論、持参の寝袋に包まって眠るのだけれど、或る夜、猛烈な寒気に目を覚ましたことがあった。震えが止まらず、身体に触れてみると何処も冷たく、自由が利かない。あのまま目覚めねば危うかったかも知れないと、今でも時々思い出す。

駅寝の夜には、大抵機関区を訪ねて居た。そこは、駅前広場から左に折れ南へ大きく迂回して踏切を渡った先で、駅本屋から構内を通行したとしても、かなり離れた位置に在った。手前の事務室に当直を訪ね許可を請えば腕章を手渡され、後は自由に庫内を歩けた。
庫内3線を持つ矩形庫は、1906年建造と云う煉瓦造りで石材も組み合わせた美しい意匠の建築であったのだが、保存の話も出ていた矢先の2001年2月に、惜しくも積雪により自然倒壊してしまった。ご記憶の方も多いと思う。
この頃には、本線機であったC57やD51の姿は既に無く、米坂線の9600と長井線に運用のC11が入庫するのみで、しかも夜間ともなれば各線とも満線に近く蒸機が休んでいた。石炭の匂いに満ちて、深とした庫内に時折缶の鳴き声や蒸気の吐出音の響くのは、神秘的とでも形容したくなる光景であった。

写真は、庫の西側に張り出していた加工職場から庫内を覗き込んでいる。積み重ねられたドラム缶は何に使われていたのだろうか。

北海道への周遊券で福島から奥羽線に入ってしまうと、青森まで同線を経路とせねばならない。ところが、青函の前にもう一箇所を回るでも無い限り、それは不便なルートだったのである。なので、米坂線の後には、小国が17時、羽前椿で17時半過ぎだった急行<あさひ2号>で仙台に向かい、そこで深夜の<八甲田>を待つことにしていた。これなら、福島-仙台間を米沢・山寺経由で別払いすれば済むのだった。

[Data] NikonF+P-AutoNikkor50mm/F2  Bulb@f11  Non filter NeopanSSS Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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コメント

Re: 駅寝

こんばんは。

深夜帯に入ると当直の駅員がストーブへ投炭に巡回する頻度が落ちて、
それは、そのうち置火が燃えている程度になってしまうのです。
ストーブ回りには、夜行を待つ人々が集まりますから、駅寝場所は必然的に
壁際の木製ベンチとなって、寝袋無しでは寝れませんでした。

世の中SLブームとか云われていましたけれど、この頃にはまだまだ静かで、
撮影者も信頼されていたのですね。
プレートや部品の盗難などの話を聞くようになるのは、もう少し先のことでした。

  • 2012/12/25(火) 00:53:28 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

駅寝

こんばんは。

終夜開放の駅ではよく寝ましたが、ストーブで結構暖かく、寝袋なしでも平気でした。
昔は駅寝環境も厳しかったのですね。

庫内撮影、羨ましいです。腕章もらって心置きなくカマと対面してみたかった。

  • 2012/12/25(火) 00:30:03 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

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