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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

戸田小浜 (山陰本線) 1974

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北の育ちなものだから、東京に転居してもしばらくは北の方が気になり、鉄道屋としても北海道や奥羽地域にばかり通っていて、1974年に幾度かの山陰方面への旅は神戸以西に足を踏み入れる初めての機会だった。なので西国の事情には疎かったのである。

道内版のほうに、北海道(少なくとも子供時代を過ごした札幌地域)では穴子をハモと呼び習わしており、随分と後になって西国の所謂鱧料理に出会い、頭の中をクエスチョンマークの飛び交った話を書いたことがあるけれど、この山陰方面ではラーメン(中華そば)にやられた。
最初は鳥取の駅前食堂だったと記憶するが、そこで注文した旅の定番食には、どう見てもタンメンらしきものが運ばれて来たのである。食べてみてもそれは正にタンメンであり、列車時刻の迫っていたこともありそのまま店を出たのだった。二度目はずっと西に下っての江津駅前である。ここでの注文にもそれはタンメンだった。さすがに店主へ間違いでは無いかと質すものの間違いなくラーメンと返答され、この地域(具体的にどの辺りまでかは分からないけれど)では、どうやら自分達の呼称するところのタンメンをラーメンと称すと知った。では、かの鶏ガラ醤油スウプのラーメンはと問えば、店主は品書きを指差して云うのだった。「ほら、あそこ。正油ラーメン」。なるほど。
遅まきながら、ごく一般的な食べ物が地方により呼称の異なるのを知る最初の機会であった。40年前のことであり、今では事情の変わっているかも知れない。

同じようなことは、1980年代に高山線撮影で立ち寄った名古屋でも経験し、そこでは「カツ丼」にしてやられた。それが全ての店でないことは後に知るけれど、カツ丼を頼んで出て来たどんぶりには、ご飯の上にトンカツと千切りキャベツが載っていたのである。これは、どう見てもカツライスだ、と店主に問うても「いいや、カツ丼だ」と言い張られて困ったものだった。そこでのカツライスとは、トンカツとキャベツが別皿、即ちトンカツ定食の様式を指すのである。カツを甘辛く煮て玉子で綴じたカツ丼は品書きに存在しない。これには、名古屋市内のみならず尾張・美濃地域ともに遭遇したものである。
やや事情の異なるが、博多では焼き鳥屋の「ねぎま」であった。立ち寄った店のほぼ全てで、その串に鶏と共に刺されていたのはタマネギだったのである。これは東京では見たことが無い。行きつけの店に聞けば、元々には博多の焼き鳥屋には無かった品書きで、東京からの転勤族あたりが持込んだものと云う。ところが当時に博多に長ネギはほとんど流通しておらず、やむなくタマネギを代用したものが、ここでの「ねぎま」と定着したらしかった。塩焼きのネギに出会えぬのは酒呑みには残念でもあったけれど、それはそれで旨い肴ではあった。

写真は戸田小浜駅本屋の窓越しに見るD51。この860列車は803D<さんべ2号>と続行の829列車(DF50牽引)との行違いで20分近く停車する。機関士と助士の不在は駅務室へ引上げて一服と云ったところか。
おそらくは、この本屋にデザインされた窓枠であろう。鉄道省はポスターばかりでなく駅舎も洒落ていた。
夜までここで粘るつもりの夕食は、駅から街道を少し下ったところの食堂で済ませた。もう慣れたもので注文は「正油ラーメン」である。

[Data] NikonF2A+AutoNikkor50mm/F2 1/125sec@f2.8 Y48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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