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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

金浦 (羽越本線) 1969

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家族で札幌に暮らした頃、水戸への帰省旅行の途上に沿線の観光地に立ち寄ることの在ったことは以前の記事に書いたと思う。通常に夏休みや春休みの期間が、この象潟への旅は黄金週間と記録に在る。飛び石連休がどうして連続休暇になったものか、そこでのわざわざの帰省の事由は覚えていないけれど、おそらくは法事か何かで親戚一同の集まる機会だったのだろう。東北/常磐線の直行経路を取らぬのは旅好きだった親父の発案によるもので、この際の奥羽・羽越本線の昼間の乗車に象潟への下車も同様であった。
そこへは札幌を夕方の<ライラック>で出て、連絡船の深夜便から金沢行きの<しらゆき>に乗継いで到着、一泊の後に再び<しらゆき>にて羽越線を南下し新潟で<佐渡>に乗継ぎ、高崎から両毛線・水戸線を経由して夜遅くに水戸に辿り着いている。札幌-象潟に16時間、象潟-水戸に13時間余りは当時にすれば至極一般の旅である。

紀元前466年とされる鳥海山の大規模噴火による山体崩壊にて形成された流山地形が潟湖に没して、象潟九十九島と云われた景観が1804年の象潟地震にて隆起しての現況は、かつて島だった水田の流山に明らかに小舟を繋いだで在ろう痕跡の見られて興味深いのだったけれど、そこからは流山を縫うように敷設された羽越本線を走る蒸機の煙もまた眺められた。
家族旅行ゆえ蒸機を含む鉄道撮影は諦めていたものだが、意外にもその機会は翌朝にやって来たのだった。国民のレジャー指向が顕著となった1960年代を通じて、観光地を保有する地方公共団体は1956年に制定されていた国民宿舎の制度を利用してこぞって自営の宿泊施設を開設しており、この日に宿泊予約をしていた象潟町に隣接の金浦町(ともに現在はにかほ市の一部)の「金浦はまなす荘」もそのひとつであった。到着してみれば、その裏手を線路が通過しているのが見えたのである。
持参の時刻表に拾って、朝食時間とした8時までに下り5本/上り2本の撮影が可能と知り、そこには前年10月に走り始めた<日本海>も、C57の荷2048列車も含まれていた。翌朝の5時に宿を抜け出して沿線に立てば、象潟側のように一旦は海中に没したではなさそうだけれど、寧ろこのあたりが山体崩壊土砂の堆積中心とも思え、線路は特徴在る景観を通過していた。

写真は、<日本海>の露払いのように通過して往く801列車<鳥海2号>。
DF50を期待したものだが、1968年10月改正での盛岡区や長野区から秋田区・山形区へのDD51の大量転入にて、それは大半が米子区へ去った後だった。(このDD514は一足早く1966年4月29日付で秋田区へ転入したもの)

[Data] NikomatFTN+AutoNikkor135mm/F2.8 1/125sec@f4 Y48filter NeopanSS Edit by PhotoshopLR5 on Mac.
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