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70's/80's Monochrome Age and Years of Ektachrome film

打保 (高山本線) 2008

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吉城郡宮川村(現飛騨市宮川町)の中沢上は「なかそれ」、人によっては「なかぞれ」とも読む難読地名である。そこから宮川をやや下った位置には祢宜ケ沢上なる地名もあり、これは「ねがそれ」と読む。隣接した河合村(現飛騨市河合町)にも中沢上が存在し、こちらは「なかぞうれ」である。
言語や地名の由来には疎いのだけれど、この「それ/ぞれ」も「ぞうれ」も共に「さわ-うれ」の訛りによる読みとは容易に推定される。もともとは「なかさわうれ」だったり、「ねぎがさわうれ」だったのが、話し言葉の上で変節したのである。
「うれ」を承知していたのは偶然で、それは万葉集に納められた和歌のひとつに覚えており、木梢や枝の先のことを指しての万葉言葉である。よって、これが地形に由来するならば「中沢」と云う沢の流れの先端、つまりは上流であり、後世に「上」の字が当てられたものと推定する。けれど、中沢上も祢宜ケ沢上も本流である宮川沿いに所在して、それらしい沢の痕跡すら無い。ここでの「さわ」とは水流以外の何者かを示すのかも知れないが、そこまでの知識は残念ながら持ち合わせない。いずれにせよ、おそらくは平安期から存在すると思われる由緒ある地名である。

宮川村中沢上の集落は、ここを初めて訪れた1996年には集落とも及ばない3世帯の暮らすのみだった。宮川の曲流部内側に位置して戸谷と上桑野の対岸にあたる。山懐の狭い耕地に三戸の民家にそれぞれの納屋に土蔵が全てである。それでも小さな祠に地蔵様、耕地を見下ろす墓地も存在して集落の体裁は備えているのだった。地形からか集落内の道は円を描いて完結しており、その内側耕地に1枚だけ残された水田は田の神を迎えた祭礼場としての車田の名残とも思われ、なるほど古からの集落なのだろう。
その頃には戸谷集落から宮川に永久橋の中沢上橋が架橋されていたが、住民に聞けば1980年代の半ばまでは上桑野への吊り橋に頼っていたと云い、その橋台跡が宮川縁に残る。
高山本線はここに盛土を構築して通過し、その前後に第三・第四の宮川橋梁を架橋していた。第三橋梁の定点撮影位置にしていた村道川東線への通り道だったこともあるけれど、その飛騨の原風景とも思えた山里の景観にはここでも四季折々にカットを収めさせて貰いもした。それはC58、9600形蒸機の時代と何ら変わることの無い鉄道景観に思えた。

集落背後の栗林の丘から民家の屋根を見下ろすと、その先に第三宮川橋梁が見通せた。冬の日の弱い西日に橋梁を渡る列車は1036D<ひだ16号>。それの山の端に隠れるまで、後に僅かもない。
この辺りの民家は、屋根裏部屋の採光に天頂部へドーマー窓を持っている。それは雪下ろしに屋根へと向かう通路でもあったのだろう。

[Data] NikonF5+AiNikkor 105mm/F1.8S 1/2000sec@f2.8 Nikon L1Bcfilter EktachromeProfessional E100GX [ISO160/0.5EVpush] Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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